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'''南部 僑一郎'''(なんぶ きょういちろう、[[1904年]](明治37年)[[4月6日]] - [[1975年]](昭和50年)[[2月16日]]<ref name="kotobank">[http://kotobank.jp/word/南部僑一郎 南部僑一郎]、『講談社 日本人名大辞典』、[[講談社]]、[[コトバンク]]、2010年1月29日閲覧。</ref>)は、日本の[[映画評論家]]、[[脚本家]]である。本名は'''杉田 實'''(すぎた みのる)<ref name="kotobank" />。
 
== 人物・来歴 ==
[[1904年]](明治37年)[[4月6日]]、[[福岡県]]に生まれる<ref name="kotobank" />。
 
旧制・[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]](現在の[[熊本大学]])を卒業し、1923年(大正12年)、東京に移り、東京帝國大學(現在の[[東京大学]])印度哲学科に進学する<ref name="kotobank" /><ref name="対話28">『南部僑一郎氏との対話』、p.28.</ref>。同学に在学中の同年、福岡・[[筑豊炭田]]での炭鉱争議を支援、[[治安維持法]]に問われて逮捕される<ref name="kotobank" />。逮捕時にリンチに遭い、左眼を失明する<ref name="対話29">『南部僑一郎氏との対話』、p.29-30.</ref>。[[市ヶ谷刑務所]]に8か月入所し、大学は中途退学となった<ref name="kotobank" /><ref name="対話29" />。
 
1927年(昭和2年)、内藤宸策の門をたたき、[[日本演芸通信]]の京都支局長に就任して短歌と詩の雑誌編集に携わる。それから間もなく[[阪東妻三郎プロダクション]]に入り、宣伝部に配属される<ref name="kotobank" >『日本映画の若き日々』([[稲垣浩]]、毎日新聞社刊)</ref>。
 
1932年(昭和7年)、[[サイレント映画]]の[[剣戟映画]]を製作する独立プロダクション[[富国映画社]]の設立第1作『[[安政大獄]]』に原作を提供<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1932/bh005360.htm 安政大獄]、[[日本映画データベース]]、2010年1月29日閲覧。</ref>、翌1933年(昭和8年)には、[[トーキー]]を製作する独立プロダクション[[木下トーキープロダクション]]に『[[ホロリ涙の一ト雫]]』の原作を提供した<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1933/bi003350.htm ホロリ涙の一ト雫]日本映画データベース、2010年1月29日閲覧。</ref>。
 
[[1975年]](昭和50年)[[2月16日]]に死去した<ref name="kotobank" />。満70歳没。
 
== 人物 ==
[[稲垣浩]]によると、南部は「若いころから名を残そうなどという野心はすこしもない男だった」といい、阪妻プロでの南部の立場が分からなかった稲垣が「君は何部なのか」と聞くと、「わしは宣伝ブ、なんにもせんでんブじゃ」と嘯いていたという。社会主義運動の経歴があり、阪妻プロの宣伝部に入ったのも、稲垣は「特高警察の目を逃れるためだったのだろう」と推察している。
 
その後通信記者、映画評論家、宣伝コンサルタントなど様々な職種をこなすが、本人は「文筆家」だとは言わず、終生「わしは売文業だ」と言っていて、稲垣によると、そこには生活のために文を売るのだという正直さがあったという。[[日活]]映画から[[入江たか子]]引き抜きの片棒を担いで映画界から追放されたことがあるが、帰参がかなったのは日活が社運をかけた大作映画『[[大菩薩峠 (1935年の映画)|大菩薩峠]]』([[稲垣浩]]監督、昭和10年)の公開を前に、特設宣伝班を買って出たことからだった。
 
南部はこの映画のために、銀座の夕刊売りに背中に『大菩薩峠』と書いたジャンパーを着せた。また自らこのジャンパーを着て、「わしは日活からもらっとるから、こいつを着ぬわけにはいかんワイ」と嘯き、堂々とどこの映画会社にもまかり通った。稲垣は「こんなことができる、いや、言えるサムライが、いまどきどこにいるだろう」と、南部の人柄を偲んでいる<ref>『日本映画の若き日々』([[稲垣浩]]、毎日新聞社刊)</ref>。
 
== フィルモグラフィ ==