「京都アニメーション」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
54行目:
やがて[[1990年代]]半ばから、演出・作画・仕上げ・背景・撮影などを自前で行う体制を整え、テレビアニメの[[グロス請け]]を行うようになった。一時期4ヶ所のスタジオを構えた時期もあり、またゲームソフトのパッケージデザインや、そのソフトに関連したコミック版も請け負っていた。
 
[[1992年]]には[[シンエイ動画]]からの受注で[[内田春菊]]原作のテレビアニメ『呪いのワンピース』を、演出から仕上げまで初めて社内スタッフだけで制作した。このころにはすでに質の高い仕事で評判になっていた。その後、長らく主要取引会社である[[シンエイ動画]]、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]][[ぴえろ]]などの下請けをおこなった。アニメ監督の[[杉井ギサブロー]]によると、その評判から仕事の依頼が絶えず、発注する元請けの制作会社では京都アニメーションに仕事を依頼するためにスケジュール調整を行うことがあったという。
 
1999年、株式会社に組織変更。このころから、デジタルペイントデジタルコンポジット制作体制へと移行する。
 
=== 元請制作後 ===