「ぼくのそんごくう」の版間の差分

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この作品には手塚もスタッフとして加わり、自らストーリーボードを描くなどしている。ただし、途中からは多忙で顔出しできなくなり、自分の代わりに[[石ノ森章太郎]]とアシスタントだった[[月岡貞夫]]を助手として現場に派遣した。手塚にとっては原作者という側面と、アニメ制作の勉強という目的もあっての参加であったが、制作の進め方を巡って東映動画側のスタッフと齟齬が生じた面もあった。この経験が自ら[[虫プロダクション]]を創設するきっかけにもなった。
 
一方、東映動画の側からは、感動を得ようとドラマ上の必然性がなくヒロインを死なそうとした手塚の手法に疑問を呈する発言が、[[宮崎駿]]によって残されている<ref>宮崎駿『出発点 1979~1996』[[徳間書店]]、1996年、p.234。</ref>。(注:但し当時は宮崎は東映入社以前であり,これは入社後の伝聞に基づく発言である.) [[大塚康生]]は、アイデアを並列に配置しラストもあっさりした手塚の構成が、起承転結をがっちりと組み立てた劇映画で観客を満足させる東映の作風と合致せず、東映動画側は手塚の絵コンテを改変して使用せざるを得なかったと説明している<ref>
大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』徳間書店、2001年、pp.108-109</ref>。
<!-- 手塚治虫のアニメの素人ぶりを宮崎・大塚が指摘することになるエピソードはこのときでなく後年の話-->