「カミーユ・クローデル」の版間の差分
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== 生涯 ==
[[File:Rodin p1070087.jpg|thumb|left|200px|[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]による像(1886年)]]
1864年、[[エーヌ県]]の[[:en:Fère-en-Tardenois|フェレ=アン=タルドノワ]]
[[1913年]][[3月10日]]、48歳の時に家族によってパリ郊外[[ヌイイ=シュル=マルヌ]]の[[ヴィル・エヴラール精神病院]]に入れられた。その後[[第一次世界大戦]]の影響で南仏の[[モントヴェルク精神病院]]に移動させられ、そこが臨終の地になった。ルイーズはカミーユの芸術に理解を示さなかったため、2人の間には生涯確執が消えることはなかった。そのためルイーズと妹は精神病院に見舞いに行くことは一度もなく、ポールが数年に1度見舞うのみであった。
しかしポールも結婚し、外交官として任地の[[上海市|上海]]へ向かった後は姉と会う回数が激減した。晩年は毎朝決まって病院構内の礼拝堂に向かい祈った。カミーユは誰とも口を聞こうとせず、一人自己の世界に閉じこもった。また、ロダンへの憎しみと周囲の患者を見下すことでかろうじて自己の精神の孤高を保った。後年のみすぼらしい身なりで痩せこけ、精彩を欠いた
[[1943年]]、家族に看取られることなく亡くなった。78歳没。終生願ったのは故郷に帰ることであったが、叶うことはなかった。
精神を病んだ後
== 作品 ==
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