「フォッケウルフ Ta152」の版間の差分

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Hman (会話 | 投稿記録)
なびおさんに感謝しつつP-51ネタを少々加筆。タンクはただの設計者であり戦闘訓練は受けておらず、実弾が装填されていたとしてもどー考えても普通逃げるんですが。
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また液冷エンジンは[[ラジエーター]]を要するため、一般に重量は増加する。機体の重量増(全備状態でFw190A-8の4750kgに対して5217kg)に対応し、主脚の強化がなされ、タイヤの直径も740mmに増加{{sfn|野原|2009|p=129}}、電動式だったものが油圧式に改められ{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=456-457}}、主翼の設計変更に伴いトレッドも3.5mから3.954mに拡大された{{sfn|野原|2009|p=129}}。
 
また垂直尾翼はFw190D-9とほぼ同じ面積ながら、内部設計を改めている{{sfn|野原|2009|p=98}}。また木製のものも製作されており、実際の機体に装備されていた可能性もある{{sfn|成美堂出版編集部|2000|p=22}}{{sfn|野原|2009|p=94}}<ref group = *>野原によれば、アメリカの[[国立航空宇宙博物館]]に所蔵されているTa152-H W.Nr150010を実際に見て触り確認したところ、この機体の垂直尾翼が紛れなく木製であったとしている。</ref>。キャノピー正面の防弾ガラスの厚さは50mmから70に{{sfn|野原|2009|p=94}}、パイロット頭部背面の防弾鋼板も12mmから20mmに増厚された{{sfn|野原|2009|p=123}}。
 
Jumo213Eは高度10600mにおいても1260馬力を発揮し{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=457}}、その高度でも操縦になんら問題はなかった。最高速度は高度9000mで750km/h。それも、ドイツ製の必ずしも品質が良いとは言えない87[[オクタン]]の燃料を使用してである{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=457-458}}。また2種の出力増強装置を装備し、[[MW50]]水メタノール出力増加装置用タンクは70リットル、28分分を用意、[[GM-1]]出力増加装置用亜酸化窒素は60秒ないし150秒分搭載、使用時にはエンジン出力は410馬力向上する{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=458}}、または85リットルを搭載し高度8000 - 9000mで200馬力の向上{{sfn|野原|2009|p=139}}。MW50を使用すれば、高度12500mで765km/hを発揮できた{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=451}}。
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== 実戦 ==
主として既に実用化され配備されていた[[ジェット機|ジェット戦闘機]]、[[Me-262]]の離着陸時の護衛に用いられたと言う説が一般的である{{sfn|長谷川|2007|p=75}}{{sfn|飯山|2004|pp=397-398}}{{sfn|同朋舎|1992|p=23}}。ただしこのような運用であれば結果的にはわざわざ高々度戦闘機としてTa152を開発せずともFw190D型で十分だったのではないかとの指摘もある{{sfn|野原|2009|p=76}}。
 
また、ヨーゼフ・カイル上級曹長は、 1945年2月21日の[[B-17_(航空機)|B-17]]撃墜を皮切りに、[[P-51 (航空機)|P-51]]、[[P-47 (航空機)|P-47]]各1機、[[Yak-9 (航空機)|Yak-9]]を2機撃墜し、Ta152で唯一の[[エース・パイロット|エース]]となった{{sfn|野原|2006|p=83}}<ref group = *>ただしこの文献はでは、Ta152に乗るまでに1機、B-17 1機、マスタング1機、機種不明5機、Yak2機とも読める。</ref>。{{sfn|野原|2009|pp=74-75}}他にも、僅かながら実戦に参加した機が、終戦までに戦果を記録している{{sfn|野原|2009|pp=74-75}}。また、敵機に撃墜されたTa152は存在しないとも言われている{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=460}}。
 
なお有名な逸話として次の様なものがある。終戦間際の頃、[[ベルリン]]南部の[[コットブス]]での会議に出席するため、タンクはTa152を操縦していた。その時、2機の[[P-51]]に遭遇してしまった。彼らに襲いかかられそうになった時、タンクは、水メタノール噴射装置を作動させた。するとTa152は急激に速度をあげ、P-51を完全に振り切ってしまったという{{sfn|フラッペ|ローラン|1999|p=9}}。''田中ら''によればこれはH-0型だったようだ{{sfn|田中|飯田|佐藤|2006|pp=26-27}}。長谷川 (2007) では、タンクは自身はあくまで民間人であるので戦闘はしない、との信条から逃走を選んだとしている{{sfn|長谷川|2007|p=148}}、『栄光のドイツ空軍』では、タンクが自身を民間人と認識していると同時に、そもそもこの機体は武装はされていたものの実弾を搭載していなかったとされている{{sfn|成美堂出版編集部|2000|p=139}}。
 
== その他 ==