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'''民主正義党'''(みんしゅせいぎとう)は[[大韓民国]]の[[政党]]で、。1980年5月の[[全斗煥5・17非常戒厳令拡大措置]]政権(5盧泰愚17クーデター)を通じて政権前半期のを掌握した[[与党全斗煥]]をリーダーとする新軍部勢力が中心の与党なり、民族・民主・正義・福祉・統一の5大理念を掲げ結成された。[[1981年全斗煥]]政権・盧泰愚政権前半期の[[1月15日与党]]に結成した。略称は「'''民正党'''」(みんせいとう)。なお[[1997年]]に結成された保守政ハンナラで、を前身とする[[李明博セヌリ党]]政権(2008~)与党の[[ハンナラ党朴槿恵]]政権)は、一定の範囲内で民正党の流れを受け継いでいる。
 
== 歴史 ==
1980年11月25日、「民主正義党」の創党を公式宣言して創党作業に着手。12月2日に創党発起人総会を開き、同月9日に創党準備委員会を発足させた。[[1981年]][[1月15日]]にソウル蚕室体育館で創党大会を開催し、初代総裁に全斗煥大統領を選出すると同時に第12代大統領選挙における民正党候補に推戴した。民族・民主・正義・福祉・統一の5大理念を綱領として掲げた。
1981年[[2月25日]]、大統領選挙人団の間接投票で行われた大統領選挙では、他の3人の候補を抑えて全斗煥が90.2%の得票率で大統領に当選、翌月の[[3月25日]]の第11代総選挙では、地域区の第1党に全国区の3分の2を配分する選挙制度によって過半数を制した。
 
1981年[[2月25日]]、大統領選挙人団の間接投票で行われた第12代大統領選挙では、他の3人の候補を抑えて全斗煥が90.2%の得票率で大統領に当選、翌月の[[3月25日]]の第11代総選挙では、地域区の第1党に全国区の3分の2を配分する選挙制度によって過半数を制した。
 
党名は、「[[社会正義]]を具現する」との全斗煥の考えを反映している。この「社会正義」の実践として、全斗煥の政権掌握直後には、多数の[[ヤクザ|やくざ者]]や[[ホームレス]]、[[非行]]少年が強制収容所([[三清教育隊]])に送られた。
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|align="center"|[[1981年]][[2月25日]]
|align="center"|[[第11代総選挙 (1981年大韓民国)大統領選挙|第12代大統領選挙]]
|align="center"|全斗煥
|align="right"|4,755
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== 参考文献 ==
* 韓国中央選挙管理委員会編『大韓民國政黨史 第3輯(1980年~1988年)』(韓国中央選挙管理委員会)
== 関連項目 ==
* [[韓国の政党一覧]]