「カール・ヌードストローム」の版間の差分

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== 解説 ==
ヌードストロームは、スウェーデン美術において「ジャポニスト」の要素を受け入れた初期の画家の一人とされている。彼は1882年、[[ノルウェー]]の画家[[クリスチャン・クローグ|クリスティアン・クローグ]]とともに[[パリ]]での第7回[[印象派]]展を訪れている。フランス美術の影響のもとに[[ジャポニスム]]を吸収していき、のちの風景画には日本の[[木版画]]にじかに触れたことがえる特徴がえる。たとえば1887年の『ホガ地方から、ショーン』では、鳥の止まっている枝を画面の手前に描き、遠景と対比させているが、これはジャポニスムの典型的な特徴である<ref>トシュテン・グンナション「カール・ラーションのジャポニスムと同時代のスウェーデンの絵画」『カール・ラーション展』高波眞知子訳、171頁。</ref>。
 
ヌードストロームは1880年代は[[フランス]]の[[パリ]]郊外の村[[グレ=シュル=ロワン|グレー=シュル=ロワン]]に滞在していた。こは芸術家が多く集まる場所で、特にこの頃は[[北ヨーロッパ|北欧]]出身の芸術家が多くいた。彼らの中心になっていたのがヌードストロームと画家[[カール・ラーション]]であった。ヌードストロームは1982年に前述のクローグとともにグレー村を訪ねたことがあり、ラーションに村のことを教えている。ヌードストロームはこの村で多くの作品を制作した<ref>荒屋鋪透「カール・ラーションへの旅――スンドボーンとグレー=シュル=ロワン」『カール・ラーション展』191-192頁。</ref>。
 
1892年に画家の[[リッカルド・ベリ]]が購入した[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]の絵画から啓示を受けたヌードストロームは、ベリ、[[ニルス・キュレーゲル]]とともに、スウェーデン西海岸にある[[ヴァールベリ]](で1893年から1896年にかけて過ごし、作品制作を重ねて総合主義的様式を発展させた<ref>「カール前掲トシュテンラーグンナションのジャポニスムと - 」170頁。</ref>。
 
== 主な作品 ==
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ファイル:Karl Nordström - My Wife.JPG|『Min fru』(1885年)
ファイル:Karl Nordström-Vinterbild från Skansen.jpg|『Vinterbild från Skansen』(1891年)この絵画にも、手前の鳥の止まった枝と遠景との対比の構図がみられる。
Imageファイル:Nordström 1894.JPG|''Granngårdarna'' (1894) Nationalmuseum, Stockholm
ファイル:Karl Nordström, Sunset, oil on canvas, appr. 1899.jpg|『Solnedgång över Västerhavet』(1899年)
Imageファイル:Karl Nordström - Regnbågen.jpg|''Regnbågen/The Rainbow'' (1899)
Fileファイル:Karl nordström.JPG|''Röda segel/Red sails''
Imageファイル:Karl Nordström - Skäret (The Skerry), 1909.jpg|''Skäret/The Skerry'' (1909)
</gallery>
 
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* [http://www.pref.mie.jp/bijutsu/HP/event/catalogue/carl_larsson/arayashiki.htm カール・ラーションへの旅-スンドボーンとグレー=シュル=ロワン 荒屋鋪透 カール・ラーション展図録]
::※[[三重県立美術館]][http://www.pref.mie.jp/bijutsu/HP/ サイト]内。参考文献の同名の論文の再掲。
 
 
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[[Category:1855年生]]
[[Category:1923年没]]
 
[[de:Karl Nordström]]
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[[pl:Karl Nordström]]
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