「かわいがり」の版間の差分

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相撲史の中では、[[常陸山谷右エ門|常陸山]]が[[太刀山峯右エ門|太刀山]]を、太刀山が[[栃木山守也|栃木山]]を、栃木山が[[玉錦三右エ門|玉錦]]を、玉錦は[[双葉山定次|双葉山]]を、というように、一時代を担った[[横綱]]が一門や部屋の別を越えて期待の若手に胸を出してかわいがった逸話が多く残る。
 
かつてかわいがった後輩に時代を譲る形で身を引いた力士も多く、こうした例は多く美談として残る。中でも、玉錦を双葉山が本場所で初めて破り、69連勝への足がかりとした「覇者交代の一番」は、かわいがりへの恩返しの代表例として、よく引かれる例となっている。他にも、[[千代の富士貢|千代の富士]]が、若い頃かわいがられた[[貴ノ花利彰|貴ノ花]]に[[本場所]]で引導を渡す黒星をつけ、やがてその息子である[[貴乃花光司|貴花田]]に敗れて引退を表明している。安馬(後の[[日馬富士公平|日馬富士]])は[[朝青龍明徳|朝青龍]]に勝利した際に「すごくかわいがってもらったので、恩返しできて良かった」と述べたことがある<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/080922/spf0809222009013-n1.htm 安馬、勝負に徹して「恩返し」/秋場所] [[サンスポ]] 2008年9月22日配信</ref>
 
近年では[[日馬富士公平|安馬]]が[[朝青龍明徳|朝青龍]]に勝利した際に「すごくかわいがってもらったので、恩返しできて良かった」と述べたことがある<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/080922/spf0809222009013-n1.htm 安馬、勝負に徹して「恩返し」/秋場所] [[サンスポ]] 2008年9月22日配信</ref>。
 
自らも素質にはめぐまれなかったものの、他を圧倒する猛稽古で横綱昇進を果たした玉錦を開祖とする[[一門|二所ノ関一門]]の猛稽古は、一門の代名詞ともなるほどで、それにまつわる逸話は数多い。特に昭和30年代頃まで、これは分家独立を推奨した一門の方針のため、それぞれ「内弟子」を抱えた現役力士たちの意地の張り合いもあって、稽古場は本場所さながらの真剣勝負の場であったという。