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参照
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| 本名 =
| 別名 =
| 出生地 = [[アメリカ合衆国]][[ネブラスカ州]][[ローレル (ネブラスカ州) |ローレル]]
| 死没地 = [[ビバリーヒルズ|カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]
| 国籍 = {{USA}}
| 民族 =
| 身長 =
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'''ジェームズ・ハリソン・コバーン3世'''('''James Harrison Coburn III'''、[[1928年]][[8月31日]] - [[2002年]][[11月18日]])は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の映画・テレビ俳優である。コバーンは45年間のキャリアを通して70を超える映画と100を超えるテレビドラマに出演した。幅広い役柄を演じた彼は『[[白い刻印]]』のグレン・ホワイトハウス役で[[アカデミー助演男優賞]]を受賞した。
 
彼は『[[荒野の七人]]』、『[[突撃隊 (映画) |突撃隊]]』、『[[大脱走]]』、『[[ダンディー少佐]]』、『[[電撃フリントGO!GO作戦]]』、『[[夕陽のギャングたち]]』、『[[ビリー・ザ・キッド/21才の生涯]]』といった西部劇やアクション映画で、荒削りの、歯を見せて笑うタフな男を演じることが多かった。
 
1960年代後半から1970年代前半にかけて彼は「クール」なイメージをもたれる。そして同年代の[[リー・マーヴィン]]や[[スティーブ・マックイーン]]、[[チャールズ・ブロンソン]]と同様に、彼は「タフガイ」のスターになった。アメリカで[[柔道]]を学び黒帯を取得、来日時には[[講道館]]を訪れた。また、[[ブルース・リー]]に武術、アクションを学んでいる。
 
== 生い立ち ==
コバーンは[[ローレル (ネブラスカ州) |ネブラスカ州、]]ローレル]]に生まれる。母親はマイレット・S(旧姓:ジョンソン)、父親はジェームズ・ハリソン・コバーン・ジュニアで彼は[[世界恐慌]]での失業者だった。コバーンは[[スコットランド=アイルランド系アメリカ人|スコットランド=アイルランド系]]であり[[スウェーデン系アメリカ人|スウェーデン系]]でもあった<ref name="info">[http://www.newenglandancestors.org/education/articles/research/special_guests/member_staff/james_coburn_1928_2002_a_genealogical_tribute_659_510.asp New England Historic Genealogical Society]{{Dead link|date=March 2010}}</ref>。彼は[[コンプトン (カリフォルニア州) |カリフォルニア州、コンプトン]]で育ち、コンプトン・ジュニア・カレッジ卒業後の1950年代、[[アメリカ陸軍]]に入隊した。軍隊で彼はトラック運転手や、[[テキサス州]]の陸軍ラジオの臨時[[ディスクジョッキー|DJ]]として働いた。また、彼は[[ドイツ]]、[[マインツ]]の陸軍訓練用フィルムのナレーションも務めた<ref>{{cite news|author=Published: 12:03AM GMT 20 Nov 2002 |url=http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1413677/James-Coburn.html |title=Obituary in '&#39;The Telegraph'&#39; |publisher=Telegraph.co.uk |date=2002-11-20 |accessdate=2010-03-14 |location=London}}</ref>。その後はロサンゼルス・シティ・カレッジで[[ジェフ・コーリー]]や[[ステラ・アドラー]]から演技を学ぶ。そして彼は[[ラ・ジョラ・プレイハウス]]での舞台『[[ビリー・バッド]]』でデビューした<ref>{{cite web|url=http://movies.yahoo.com/movie/contributor/1800017369/bio |title=James Coburn Biography - Yahoo! Movies |publisher=Movies.yahoo.com |date= |accessdate=2010-03-14}}</ref>
 
== キャリア ==
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== 死去 ==
[[File:James Coburn grave at Westwood Village Memorial Park Cemetery in Brentwood, California.JPG|thumb|ジェームズ・コバーンのベンチ]]
2002年11月18日、コバーンは[[心筋梗塞]]で死亡する<ref>{{cite news|url=http://www.cinematoday.jp/page/N0002658|title=『荒野の七人』のJ・コバーン死去|publisher=シネマトゥデイ|date=2002年11月20日|accessdate=2013年3月22日}}</ref>。そのとき、彼は[[ビバリーヒルズ|カリフォルニア州、ビバリーヒルズ]]の自宅で音楽を聴いていた。彼の遺族は妻のポーラ(旧姓:ミュラード)、息子のジェームズ4世、そして義理の娘だった。彼の遺骨は[[ウエストウッド・メモリアルパーク]]に埋葬され、そこにあるベンチには名前が刻まれた。生前、コバーンは[[シボレー]]のテレビ広告キャンペーンの声を務めていた。コバーンの死後は[[ジェームズ・ガーナー]]が引き継いだ。
 
 
== 出演作品 ==
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*[[小林清志]] - 日本語吹き替え版の専属俳優
*[[ラーク (タバコ) |ラーク]] - 日本のテレビCMに出演
 
== 参照 ==
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== 外部リンク ==