「ミッキー・ブラントリー」の版間の差分

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コースタルカロライナコミュニティー大から{{by|1982年}}7月[[シンシナティ・レッズ]]8巡目指名拒否、{{by|1983年}}7月[[シアトル・マリナーズ]]2巡目入団。{{by|1990年}}7月[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]移籍。{{by|1993年}}[[読売ジャイアンツ]]入団、同年退団。
 
{{by|1988年}}にメジャーで規定打席に到達するも、1990年以降はメジャーに昇格できず。{{by|1991年}}の秋季キャンプで巨人のテストを受けるも不合格となる。1993年[[6月28日]]、[[ロイド・モスビー]]・[[ジェシー・バーフィールド]]両外国人のケガや不振のため、急遽獲得される。もっとも、両外国人不振のためのテコ入れとしての獲得だったようで、[[東京スポーツ]]紙上では、チーム関係者の話として「はっきりいって戦力にならないだろう」とされていた。当時評論家だった[[田淵幸一]]氏は、数試合見て別のスポーツ紙で高評価を下していたが、目立つ働きはなく、バーフィールド復帰と同時に2軍に降格した。2軍でも打率1割台に終わり、同年オフに3人揃って解雇となった。
 
[[クリーブランド・インディアンズ]]の[[マイケル・ブラントリー]]は息子。