「ハンス・エルンスト・カール・フォン・ツィーテン」の版間の差分

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==生涯==
===出自===
ハンス・エルンスト・カールは「ツィーテン」を名乗る[[ユサール|フザール]][[部隊]]の[[将軍]]の内、二番目に著名となった人物である。[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]の時代の[[騎兵]][[大将]]、[[ハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン]](「藪から出たツィーテン」と呼ばれた)と、後に元帥となるハンス・カール・エルンスト・カール・フォン・ツィーテン伯爵に相互の縁戚関係はない。
一般的には[[ハーフェルラント]]{{enlink|Havelland||de}}のデヒトウにあり、後に伯家となる古い家系と、[[ヴストラウ=アルトフリーザック|ヴストラウ]]{{enlink|Wustrau-Altfriesack|Wustrau|de}}にあるより新しい家系を指していても、両家に共通する父祖は居ないのである<ref group="註釈">ハーフェルラントを本拠地とする[[ツィーテン家]]{{enlink|Zieten (Adelsgeschlecht)||de}}には四つの支族がある。ハンス・エルンストが属するのはその中の「黒い一族」(Schwarzer Stamm)であり、ハンス・ヨアヒムが属するのはより新しい「赤い一族」(Roter Stamm)である。外部リンクを参照のこと。</ref>。