「ソ連占領地域」の版間の差分

ドイツ民主共和国の前身
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ソ連占領地域: Sowjetische Besatzungszone; SBZ) または東部地域: Ostzone)は、ヤルタ会談での連合国の協定に基づき、第二次世界大戦後にソ連の統治下に置かれた占領地域である。ザクセン州テューリンゲン州ザクセン=アンハルト州ブランデンブルク州の大部分と、メクレンブルクフォアポンメルンドイツ語版が含まれる。旧ドイツ東部領土は、平和条約を締結するまでポーランドソ連が統治することになっていたため、含まれなかった。1949年にソ連占領地域(SBZ)は、新たに建国したドイツ民主共和国(DDR)の領土となった。

1947年6月8日以降のソ連占領地域

ソ連占領地域(SBZ)

1949年以降の冷戦期、西ドイツは、東ドイツの存在を承認していなかったため、1972年東西ドイツ基本条約を締結するまで「DDR」(ドイツ民主共和国)の代わりに、「SBZ」という略字を使った。政治対立のなかで西ドイツは、「いわゆるDDR」や「ソ連ドイツ」、「東部地域」、「ソ連地域」、あるいは単純に「地域」という言葉も使った。新聞社、特にアクセル・シュプリンガー社は、東ドイツの存在を承認することができないという態度を示すために、1989年夏まで一貫して、カッコつきで「DDR」という書き方をした[1][2]

東ドイツは、1970年代まで、場合によってはそれ以降も、ベルテルスマン出版の本、西ドイツの行政用語や一般用語でも、「中部ドイツ」と書かれた。オーデル・ナイセ線自由都市ダンツィヒを含む)の東側は、ポーランド政府の統治下にあり、ケーニヒスベルクを含む北東プロイセンはソ連の統治下にあったが、国際法的には、ドイツ最終規定条約が結ばれるまではドイツに所属していることになっていたためである。

関連項目

参考文献

外部リンク

脚注

  1. ^ Beispielhaft hier in einem Artikel des Hamburger Abendblatts von 1978
  2. ^ Heiner Bröckermann und Sven Felix Kellerhoff: Als aus der „DDR“ die DDR wurde. Der Verzicht auf die Gänsefüßchen kam in der WELT zur rechten Zeit, in: Die Welt, 1. August 2009.