「信陵君」の版間の差分

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ある時、安釐王と[[囲碁]]([[双六]]との説もある)を打っていた所、[[趙 (戦国)|趙]]との国境から[[烽火]]が上がり、安釐王は趙の侵攻かと思い慌てたが、信陵君は落ち着いて「趙王が狩をしているだけのことです」と言った。安釐王が確かめさせると果たしてその通りであった。信陵君は食客を通じて趙国内にも情報網を張り巡らしていたので、趙の侵攻ではないと分かっていたのだが、これ以後の安釐王は信陵君の力を恐れて、国政に関わらせようとはしなくなった。
 
そうしているある日、信陵君は門番をしている侯嬴が賢人と聞き、食客になって貰おうと自ら出向き贈り物をした。しかし侯嬴は「私はもう70にもなり、老体で人に仕えることは出来ません」と断った。信陵君は「ならば4日後に宴席がありますので、先生も来て下さい」と言って、それは侯嬴も承諾した。その4日後、信陵君は宴席を設けたが、侯嬴が居なかったため、自ら招くべく馬車に乗って街へと出向いた。侯嬴は自分が行っても信陵君の恥になりますと一度断ったものの、信陵君に勧められ馬車に乗ったが、上席に断りもなく座った。そして途中で止めて欲しいと言って馬車を降り、肉屋である朱亥と世間話を始めた。その間、信陵君は嫌な顔もせず待っていた。そして宴席で信陵君は侯嬴を上席へと座らせた。他の大臣などの客は、汚らしい老人を信陵君自ら招きいれ、しかも上席にしたことに驚いた。そして侯嬴に「世間話など、いつでも出来るのではないですか」と聞いた。
 
侯嬴は「あれは大切にしてくださる、信陵君への恩返しなのです」と答えた。全く訳が解らなかった客が再び問うと、「信陵君をどうでもいい用事で待たせるなど、なんと失礼な爺だと皆は蔑みました。一方、それでも待った信陵君の器量に感動しました。これは噂となって、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まるでしょう。だから恩返しなのです」と答えた。客らは納得し、宴席も大いに盛り上がった。