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'''有馬 一準'''(ありま かずのり)は、[[越前国|越前]][[丸岡藩]]の第2代藩主。晴信系有馬家5代。後述するが一準は隠居後の名前であり、現役(藩主)時代は'''有馬 寿純'''(ありま ひさずみ)を名乗っていた
 
元禄10年(1697年)12月2日(異説として12月4日)、初代藩主・有馬清純の長男として[[丸岡城]]で生まれる。元禄15年([[1702年]])12月に父が死去したため、元禄16年([[1703年]])2月5日に家督を相続して藩主となる。[[正徳 (日本)|正徳]]元年([[1711年]])に[[譜代大名]]に昇格し、同時に従五位下、左衛門佐に叙任する。しかし[[宝永]]3年([[1706年]])、[[享保]]6年([[1721年]])、享保8年([[1723年]])と連年のように洪水に悩まされて凶作となり、享保9年([[1724年]])にはそれが原因で一揆も起こるなど、藩政は多難を極めた。このため、財政難打開のために銀札の発行、家臣の知行借上げなどを行なったが、失敗した。