「エリナー・オブ・プロヴァンス」の版間の差分

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南[[フランス]]の[[エクス=アン=プロヴァンス]]出身。[[フランス語]]では'''エレオノール・ド・プロヴァンス'''(Éléonore de Provence)と呼ばれる。[[プロヴァンス伯]][[レーモン・ベランジェ4世]]([[アラゴン王国|アラゴン]]王[[アルフォンソ2世 (アラゴン王)|アルフォンソ2世]]の孫)の娘で、姉に[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ9世_(フランス王)|ルイ9世]]の王妃[[マルグリット・ド・プロヴァンス|マルグリット]]、妹にヘンリー3世の弟[[リチャード (コーンウォール伯)|コーンウォール伯リチャード]]の妃{{仮リンク|サンチア・オブ・プロヴァンス|en|Sanchia of Provence|label=サンチア}}、ルイ9世の弟[[シチリア王国|シチリア王]][[カルロ1世 (シチリア王)|カルロ1世]](シャルル・ダンジュー)の妃[[ベアトリス・ド・プロヴァンス|ベアトリス]]がいる。[[サヴォイア伯]]{{仮リンク|アメデーオ4世・ディ・サヴォイア|en|Amadeus IV, Count of Savoy|label=アメデーオ4世}}の姪に当たる。
 
[[1236年]]1月14日、ヘンリー王と結婚した。彼女の輿入れには母方の伯父4人が同行して、イングランド宮廷に居座った。そのうちアメ{{仮リンク|ピエトロ2世・ィ・サヴォイア|en|Peter II, Count of Savoy|label=ピオ4世ター(末弟ちのサヴォイア伯ピエトロ2世)}}は[[リッチモンド伯]]に叙され、{{仮リンク|ボニファス・オブ・サヴォイ|en|Boniface of Savoy (bishop)|label=ボニファス(ボニファチオ)}}は[[カンタベリー大司教]]に登用された。ヘンリー3世の[[ポワトゥー]]贔屓(王太后[[イザベラ・オブ・アングレーム]]の縁による)に揺れる宮廷に、王妃は無分別にもサヴォイア贔屓を行い、イングランド人を相手にせず、いたずらに不評を招く結果となった。
 
王との間に育ったのは2男2女である。