削除された内容 追加された内容
51行目:
 
=== [[栽弘義]]への思い ===
大野は大阪桐蔭との決勝戦敗退に関して、当時涙を流しながらも「後悔も悔しさ全く無く『やっと終わった』という安堵感が強かった」と述べていた。[[栽弘義]]監督の起用によって投手生命を奪われたが、「これは僕と栽監督の信頼関係で成り立った話なので」と栽に対して批判する気持ちは持っておらず、さらに「栽監督がもし勝負師に徹していたのならば、(優勝するために)スパッと切って投げさせなかったと思う」とコメントしている。そして「栽監督が『ここまで来たのだから、勝ち負けに拘らず最後まで行こう』と(大野に)温情を入れてしまい、栽監督が『栽先生』になったから、全国制覇を逃してしまったのかも」と述懐している<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=MksZYgVTEWU&feature=related 【懐かしの甲子園】 沖縄水産 大野倫]</ref>。栽が[[2007年]]に逝去した際には、告別式で感謝の言葉を伝えていた。大野の肘には今でも栽にマッサージをしてもらっていた際にできた傷跡が残っており、大野はこれが監督との一番の思い出であると語っていた。
 
== 詳細情報 ==