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農家 (会話 | 投稿記録)
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→‎歴史: 主婦連合会より一部。
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== 日本における問題と対応 ==
=== 歴史 ===
==== 公害・不良配給品 ====
1945年頃戦後になって、[[公害]]に対する認識が高まり、富山県[[神通川]]流域で1910年代から発生していた'''[[イタイイタイ病]]'''が発生し問題視された。神通川原因は上流にある[[三井金属]]神岡工業所が川に流した金属廃液に[[カドミウム]]が含まれており、下流域の田畑を汚染、そこで収穫された[[コメ]]などの作物や飲み水を利用した人々の骨がゆがんだり、ひびが入ったりした([[神通川]]流域では1998年にもカドミウム腎症が多発した、という)<ref>{{Harvnb|石田英雄|2005|p=133}}</ref>。その後、[[水俣病]]などとともに[[四大公害病]]に数えられるようになった。
 
戦後の[[配給]]体制に対して、1948年には[[奥むめお]]らによる[[主婦連合会]]が発足し、[[消費者]]運動が始まり、不良品の配給などに対して抗議運動が起こるようになる<ref>[http://v.rentalserver.jp/shufuren.net/cgi-bin/page.cgi?src=19481205-01.pdf 「主婦連たより」第一号]昭和23年12月5日。主婦連たよりデーターベース。</ref>。1951年(昭和26年)、[[配給|配給米]]の[[ビルマ]]産米の3分の1が[[カビ]]に汚染された[[黄変米]]だったことが発覚する'''[[黄変米事件]]'''が発生<ref>{{Harvnb|黒川清|2005|p=60}}</ref>。
また、同1945年に主婦らが「おしゃもじ運動」を起こすなどして消費者運動が始まった。
 
1951年(昭和26年)、'''[[黄変米事件]]'''が発生<ref>{{Harvnb|黒川清|2005|p=60}}</ref>。1955年6月(昭和30年)'''[[森永ヒ素ミルク事件]]'''が発生。[[森永乳業]]で製造された粉ミルクに多量の[[ヒ素]]が含まれていた。死者131名。患者数12,159名(昭和31年2月時点)<ref name="Komemushi-p6-9">{{Harvnb|米虫節夫|2002|pp=6-9}}</ref>。
 
1956年5月(昭和31年)[[熊本県]]で'''[[水俣病]]'''が発生。[[チッソ]]水俣工場の排水により汚染された水俣湾の魚介類を食べた住民に食中毒被害が生じた。死者157名、患者968名(昭和51年4月時点)<ref name="Komemushi-p6-9">{{Harvnb|米虫節夫|2002|pp=6-9}}</ref>。
 
1965年6月(昭和40年)、[[新潟県]]で'''[[第二水俣病]]'''(新潟水俣病)が発生。[[昭和電工]]鹿瀬工場の排水に、[[アセトアルデヒド]]合成を行う際の有機水銀が含まれており、それによって汚染された川魚を食べた人々に被害が生じた。死者33名、患者数625名(昭和51年3月時点)<ref name="Komemushi-p6-9">{{Harvnb|米虫節夫|2002|pp=6-9}}</ref>。
 
1968年3月(昭和43年)'''[[カネミ油症事件]]'''が発生。死者28名、患者数1,283名<ref name="Komemushi-p6-9">{{Harvnb|米虫節夫|2002|pp=6-9}}</ref>。
 
==== 産業優先から消費者優先へ ====
1960年頃の[[高度経済成長]]の時期になると様々な消費者問題が起きる。1960年には[[牛肉]][[大和煮]]の[[缶詰]]の中身が当時安価だった[[鯨]]や[[馬]]肉であったことが発覚した「うそつき缶詰事件(にせ牛缶事件)」が発生[[主婦連合会]]が問題視し、[[1962年]]には[[不当景品類及び不当表示防止法]]立法の契機となった。

1968年に[[消費者保護基本法]]が制定され、ようやく産業優先の考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者保護の基本的方向が示されることとなった<ref>{{Harvnb|石田英雄|2005|pp=15-16}}</ref>。また、1970年には[[消費生活センター]]が開設された。当時、消費者の最大の関心事は食品の安全性であった。当時、牛乳の[[BHC]]汚染、発がん性が問題となった[[フリルフラマイド]](AF2)や[[チクロ]]などの[[食品添加物]]、魚の[[水銀]]汚染などの問題が発生していた。
1970年~79年までに寄せられた相談の件数でも食料品の相談が1位を占めている<ref>{{Harvnb|石田英雄|2005|p=22}}</ref>。[[食品添加物]]や[[健康食品]]などに関する相談が多かった。
 
昭和60年代(1985年~)になると、消費生活が多様化・複雑化し、消費生活センターへの相談としては、住居品、教養娯楽品、保健衛生品などの相談件数が増加し、食料品の問い合わせ件数は3位になった。ただし、食料品の相談件数はほぼ横ばいで、減ったわけではなく、他の問い合わせが増えた<ref name="Ishida-p22-23">{{Harvnb|石田英雄|2005|pp=22-23}}</ref>。
 
==== O157 ====
 
1990年、埼玉県浦和市の幼稚園で[[O157]]食中毒事件が発生。死者2名、患者268名<ref>{{Harvnb|米虫節夫|2002|p=29}}</ref>。