「ジョエル・ロブション」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 7 件をウィキデータ上の (d:Q1367752 に転記)
編集の要約なし
2行目:
'''ジョエル・ロブション'''('''Joël Robuchon''', [[1945年]][[4月7日]] - )は[[フランス]]の有名[[シェフ]]として知られる人物。
 
[[ポワチエ]]出身。15歳の時ロブションはホテル「ルレ・ド・ポワチエ」の見習いシェフとしてキャリアをスタートさせた。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任、[[1976年]]にフランスの[[国家最優秀職人章]]([[w:en:Meilleur Ouvrier de France|Meilleur Ouvrier de France]], 略称MOF)の資格を取得。[[1981年]]には独立してレストラン「ジャマン」を開店、後に店名を「ジョエル・ロブション」へと改め、現在に至る。ロブションは、レストランガイド「[[ゴー・ミヨ]]」に「世紀のシェフ」として紹介された事でも知られている。1990年代以降はフランス国外とりわけ日本での活動が豊富で、日本の[[フランス料理|フレンチ]]業界に与えた影響も大きく、日本のメディアでは「フレンチの神様」と称されることも多い。
 
==略歴==
19行目:
*[[1994年]]
**1月: 「ジャマン」を移転・拡大し、店名も「ジョエル・ロブション」に改める。
**10月: 東京・[[恵比寿]]シャトーレストラン「タイユバン・ロブション(Taillevent Robuchon)」プロデュース。
*[[1996年]]
**7月: 「最高の状態でやめたい」と言って「ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)」を閉店、現役を引退。以降は経営と後進の育成に専念する。彼は以前より「料理人は50歳を過ぎると腕が衰えてくる。だから、自分は50歳になったら現役を引退するつもりだ」と宣言しており、それを実行する形となった。
36行目:
**11月: 香港に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。
*2007年
**5月30日: [[松坂屋]]名古屋本店にレストラン「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」(LA TABLE de Joel Robuchon)開店。2011年6月閉店。
**9月26日: 松坂屋名古屋本店にブランジュリー&パティスリー「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション 名古屋店」(LA BOUTIQUE de Joel Robuchon Nagoya)開店。2011年6月閉店。
 
==叙勲・受賞歴==