「日近合戦」の版間の差分

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|combatant1 = 奥平軍
|combatant2 = 松平・山内・松井連合軍
|commander1 = [[奥平貞勝]]<br />[[奥平貞能]]<br />[[奥平貞直]]
|commander2 = [[松平忠茂]]<br />[[栗生将監]]<br />[[松井忠次]]<br />[[山内俊英]]<br />[[真木治重]]
|strength1 = 不明
|strength2 = 不明
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|}}
 
'''日近合戦'''(ひじかがっせん、日近の戦いとも)は、[[弘治 (日本)|弘治]]2年 - [[天正]]3年(現在の[[グレゴリオ暦]]で、[[1556年]] - [[1575年]])に[[三河国]][[秦梨城]]および大林・麻生・[[日近城]]にて勃発した戦い。額田三大合戦の一つである。
 
== 開戦に至る経緯 ==
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== 開戦後の経緯 ==
=== 2月14日~2 - 2月20日(旧暦) ===
2月14日[[栗生将監]]の居城[[秦梨城]]を[[奥平貞勝]]が攻め落とし、2月20日に大林にて本陣を構えるが、[[松平忠茂]]・[[松井忠次]]率いる軍に苦戦し[[日近城]]まで後退するが、[[奥平氏|奥平軍]]の放った[[矢]]が松平忠茂の胸に当たり、松平忠茂は大林で[[戦死]]する<ref>弘治2年2月27日[[松平家忠 (東条松平家)|松平亀千代]]宛今川義元安堵判物によれば、「去廿日、父忠茂於保久大林討死、忠節之至也……」とあり、弘治2年(1556年)2月20日に松平忠茂が大林付近で戦死したことが解る。参考文献の4、所収「観泉寺所蔵今川文書」(558頁)。</ref>。同日夜[[天野源太郎]]の屋敷に泊まった[[松平元康]]が[[奥平貞勝]]の[[夜襲]]にあったが一命を取り留めた。
 
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== 脚注 ==
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{{reflist}}
 
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[[Category:日本の戦国時代の戦い]]
[[Category:三河国]]
[[Category:岡崎市の歴史|戦]]
[[Category:織田氏|戦ひしか]]
[[Category:奥平氏|戦ひしか]]