「特攻兵器」の版間の差分

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日本海軍の[[黒島亀人]]連合艦隊主席参謀はモーターボートによる特攻の構想を軍令部に語っていた。黒島は軍令部二部部長に就任すると1943年8月11日には必死必殺戦法とあいまつ不敗戦備確立を主張した。<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 p322</ref>
 
日本海軍の特攻兵器開発は1944年2月の[[マーシャル諸島|マーシャル]]の陥落、[[トラック島空襲]]をきっかけとして<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 327頁</ref>、[[黒木博司]]大尉らから中央へ要望された[[人間魚雷]]の試作命令(1944年2月26日)から始まる。<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 326頁</ref>はじめ脱出装置が予定されていたが結局実現はしていない。
 
日本陸軍の特攻開発は1944年春陸軍中央で航空関係者が特攻の必要に関して意見が一致し、四式重爆撃機と99式双発軽爆撃機を改修して特攻兵器にすることに決定する<ref>戦史叢書48 比島捷号陸軍航空作戦344頁</ref>