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'''早坂 茂三'''('''はやさか しげぞう'''、[[1930年]][[6月25日]] - [[2004年]][[6月20日]])は、[[日本]]の[[政治]][[評論家]]。
 
[[北海道]][[函館市]]恵比須町出身。[[田中角栄]]元内閣総理大臣の政務秘書を、23年間務めた。[[日本列島改造論]]の名付け親でもある<ref name="himitsu no file">早坂茂三『政治家田中角栄』 [[集英社]]文庫 ,[[ 1993]]</ref>。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。
 
==来歴・人物==
[[1943年]]東川小学校卒業、[[北海道函館中部高等学校|北海道庁立函館中学校]]、[[弘前高等学校_(旧制)|弘前高等学校]]を経て、[[1950年]][[早稲田大学]][[政治経済学部]]新聞学科入学。[[学生運動]]にのめりこみ、一時[[日本共産党]]にも入党した<ref>自身が解説した『歴史劇画  大宰相』の中で、[[吉田茂]]への反発があった旨の発言をしている</ref>。浪人留年を繰り返した後に、[[1955年]]に[[早稲田大学]][[政治経済学部]]を卒業。
 
[[東京タイムズ|東京タイムズ社]]に入社し、『東京タイムズ』の[[政治部記者]]として田中角栄と知り合った。[[1962年]]に[[大蔵大臣]]に就いた田中の[[秘書官]]となり、[[内閣総理大臣]]在任中とその後の「[[ロッキード事件]]」による逮捕の時期を含め、田中が[[脳梗塞]]で倒れた[[1985年]]まで政策担当の秘書を務めた。田中の病気治療方針などをめぐり、長女[[田中眞紀子|眞紀子]]と対立し罷免、政治評論家に転身した。