「エルバ島」の版間の差分
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it:Isola_d'Elba#Il nomeおよびen:Elba#History(UTC2013-4-11、04:10))より名称と歴史について抄訳。 |
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[[ナポレオン・ボナパルト]]が最初の退位後に追放された地として知られる。行政上は[[トスカーナ州]][[リヴォルノ県]]に属し、約3万人が暮らす。
== 地理 ==
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== 歴史 ==
この島には[[古代]]から[[印欧語族]][[:en:Ligures|Ligures]]の[[:en:Ilvates|Ilvates]]族が定住しており、島で産出する[[鉄]]の精錬で知られていた。[[古代ギリシャ]]はこの島を''Aithàle'' (Αιθάλη)、''Aithàleia'' (Αιθάλεια)または''Aithalìa'' (Αιθαλία)と呼んでいたが、これは[[古代ギリシャ語]]で煙に因んだものである。[[古代ローマ]]では住民である''llvates''に因み''llva''、中世に入り''llba''および''Helba''と呼ばれるようになった<ref>[[:it:Isola_d'Elba#Il nome]]および[[:en:Elba#History]]の最初の節より。伊版には各名称の出典がある。</ref>。
この地は[[16世紀]]、[[トスカーナ大公国]]を支配する[[メディチ家]]によって実効支配された。島には、要塞と[[軍事]]と交易をするための海港、[[コスモーポリ]]が建設された。この港は当時のトスカーナ大公[[コジモ1世]]の名を冠している。▼
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[[1737年]]、メディチ家が断絶すると、エルバ島を含むトスカーナ大公国は、[[ハプスブルク家]]によって支配されることとなった。
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