「民主正義党」の版間の差分

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冒頭説明文の修正。結党までの経緯も加筆
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加筆(民正党の流れを汲むセヌリ党が朴槿恵政権の与党である事)。解散年月日と民自党の結成年月日について修正
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|画像説明 =
|成立年月日 = 1981年1月15日
|解散年月日 = 1990年121315
|解散理由 = 野党(統一民主党、新民主共和党)との合同
|後継政党 = 民主自由党
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'''民主正義党'''(みんしゅせいぎとう)は[[大韓民国]]の[[政党]]。1980年5月の[[5・17非常戒厳令拡大措置]](5・17クーデター)を通じて政権を掌握した[[全斗煥]]をリーダーとする新軍部勢力の与党として結成された。[[全斗煥]]政権・盧泰愚政権前半期の[[与党]]。略称は「'''民正党'''」(みんせいとう)。なお[[1997年]]に結成されたハンナラ党を前身とする[[セヌリ党]]([[朴槿恵]]政権与党)は、一定の範囲内で民正党の流れを受け継いでいる。
 
== 歴史 ==
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[[1980年代]]を通じた韓国の政権政党でありながらも、[[盧泰愚]]政権への移行する際に出された[[1987年]]の[[民主化宣言]]の後は穏健化した。[[社会民主主義]]政党の積極的な育成にも言及したことがある。
 
16年ぶりの国民による直接選挙で行われた1987年[[12月]]の第13代大統領選挙で盧泰愚が、[[金泳三]]([[統一民主党]])と[[金大中]]([[平和民主党]])の間隙を縫って、4割足らずの得票率で当選したが、翌[[1988年]][[4月26日]]の第13代総選挙では、民正党が過半数を大きく割り込み、野党が国会の多数を占めることになった('''与小野大''')。そのに危機感を抱いた民正党は[[1990年]][[1月3022日]]、野党である民主党・[[新民主共和党]]と合同し、を宣言。同年2月15日に[[民主自由党 (韓国)|民主自由党]](民自党)となった。[[金泳三]]へと政権を移譲するための合同とみなされたが、実際には合同後に旧党派間で激しい権力闘争が繰り広げられた。しかし、結果的には金泳三が民自党を代表する大統領候補となり、[[金大中]]と対決した。
 
== 選挙における党勢推移 ==