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翌[[1993年]]、アメリカチャンピオンになりツールドフランスを迎えた。第8ステージで、ラウル・アルカラらと数人での逃げを決め、ゴールスプリントで区間優勝。数日後に監督の指令によりリタイアしたものの、プロ転向2年目にして早くも[[グランツール]]での勝利を収め、大器の片鱗をのぞかせた。
そして、同年[[オスロ]]で行われた[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]のロードレース種目では単独の逃げを決め、[[ミゲル・インドゥライン]]、[[オラフ・ルードヴィッヒ]]、[[ヨハン・ムセウ]]といった並み居る強豪を抑えて優勝。
[[1995年]]は前年2位に入っていた[[ツアー・デュポン]]で優勝したほか、[[クラシカ・サンセバスティアン]]でも優勝。クラシックスペシャリストとしての地位を高めた後、[[ツール・ド・フランス1995|ツール・ド・フランス]]へ出場。途中チームメイトの[[ファビオ・カサルテッリ]]をレース中の[[落車]]事故で失うという悲劇に見舞われながらも、その3日後にファビオが一番取りたいと語っていたリモージュステージにて優勝を遂げた。
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