「サマラトゥンガ王」の版間の差分
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サマラトゥンガ王治下の[[824年]]、王は[[ボロブドゥール遺跡|ボロブドゥール寺院]]の工事を再開しており、それは[[833年]]まで続いているが、サマラトゥンガの死没した[[832年]]、王の後継者が未だ幼いことから、その姉にあたる{{仮リンク|プラモーダヴァルダニー|en|Pramodhawardhani}}がシャイレーンドラ朝の[[摂政]]となった。
しかし、その後、実権はプラモーダヴァルダニーの夫{{仮リンク|ラカイ・ピカタン|en|Rakai Pikatani}}にうつり、2人はチャンディ・ロロ・ジョングランをはじめとする[[プランバナン寺院群]]を建造した。これによって、中部ジャワの地は、再びシヴァ信仰を奉ずる[[ヒンドゥー教]]勢力に支配され、大乗仏教はジャワより後退した。
832年以降、シャイレーンドラ朝は[[碑文]]にも[[史料]]にも現れなくなってしまうが、833年を最後にボロブドゥールの改修も終わっている。シャイレーンドラ王家のその後の消息を伝える唯一の碑文によると、後継者争いに破れたシャイレーンドラ家最後の王子[[バーラプトラ]]は、[[856年]]、[[スマトラ島]]の[[シュリーヴィジャヤ王国]]へ逃れ、その王女と結婚したとしている。
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