「フランソワ・ジャコブ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 32 件をウィキデータ上の d:Q218311 に転記
編集の要約なし
3行目:
{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1965年|ノーベル生理学・医学賞|酵素とウイルスの合成の遺伝的制御の研究}}
{{Thumbnail:end}}
'''フランソワ・ジャコブ'''(François Jacob, [[1920年]][[6月17日]] – [[2013年]][[4月21日]])は[[フランス]]の[[医師]]で[[病理学|病理学者]]、[[遺伝学|遺伝学者]]。[[ジャック・モノー]]とともに[[遺伝子]]発現調節を説明する[[オペロン]]説を提出し、これにより[[1965年]]度[[ノーベル生理学医学賞]]を受賞した。
 
[[ユダヤ系]]家庭の一人息子として[[ナンシー]]に生まれた。神童として知られ、7歳で[[リセ]]に入学した。その後医学を志して[[パリ大学]]医学部に入学した。[[第二次世界大戦]]では[[イギリス]]に渡って[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]亡命政権に協力し、[[北アフリカ戦線]]で軍医として活動し重傷を負った。1947年に卒業したが、外科医を断念して研究生活に入り、[[アンドレ・ルヴォフ]](のちにノーベル賞共同受賞)のもとで[[微生物学]]を研究した。さらにジャック・モノーとともに[[大腸菌]]の遺伝子発現調節の研究を進め、[[伝令RNA|mRNA]]を介した遺伝情報の転移や、[[フィードバック]]による発現調節(オペロン説)のモデルを提出し、[[分子遺伝学]]の基礎を築いた。また[[タンパク質]]の[[アロステリック調節]]の研究も行った。1964年、[[コレージュ・ド・フランス]]教授に就任。