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この原因を調べるために{{仮リンク|因子群|en|Quotient group}}解析や行列法で計算した結果、まず[[シス (化学)|シス型]]ができてからトランス型に[[異性体|異性化]]しており、[[三重結合]]がシス型に開いてシス型ポリアセチレンが合成される事が明らかになった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=906}}。この結果について[[高分子学会]]の英文誌に赤外分光の論文を書き、さらに[[ラマン分光法]]で分析したところ、膜厚が非常に薄いため吸収スペクトルと電子スペクトルを測定する事ができた{{Sfn|白川英樹|2008年|p=906}}。その結果から共役数が非常に大きいことがもわかり、これに関する論文も高分子学会の『''Polymer Journal''』に掲載されている{{Sfn|白川英樹|2008年|p=906}}。なお、これらの論文の掲載にあたっては査読の通過まで時間がかかり、掲載後の反響もほとんどなかったという{{Sfn|白川英樹|2001年a|p=130}}。
 
構造などがわかって重合機構を明らかにしたことで[[1969年]]までには当初のテーマを達成できたため、その後は導電性高分子から離れて環境に関する研究を行なった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=908}}。一方で、ポリアセチレンの[[水素]]を置換する事で[[カルビン]]を合成できるのではないかとの期待から、[[塩素]]や[[臭素]]で水素を置換した後に[[水酸化ナトリウム]]や[[アンモニア]]などの[[塩基]]でそれを取り除く、という実験も行なった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=908}}。反応後に試料の[[元素分析]]を行うと98%が[[炭素]]となっていたが、カルビンではなく[[アモルファス]]炭素になっている事が明らかになった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=908}}。高温処理による[[グラファイト]]化も試みたが成功せず、ポリアセチレン由来のアモルファス炭素は難黒鉛化炭素である事がわかった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=909}}。
 
ポリアセチレンに関する最後の試験として、塩素を加えた時にどのように反応が起きるのか調べたところ、わずかな反応で薄膜が黒くなり、[[電子状態]]が大きく変わって分子の振動による吸収が起きていると考えられた{{Sfn|白川英樹|2008年|p=909}}。この時に赤外線を透過しなくなる事が、ポリアセチレンの薄膜化に匹敵するほど印象に残っていたという{{Sfn|白川英樹|2001年b|p=122}}。なお、後に炭素に正の[[電荷]]が付与されて赤外活性になるという事がわかったが、ドーピングによってそのような現象が起きている事は当時はわからなかった{{Sfn|白川英樹|2008年|p=909}}。
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[[1975年]]に[[アラン・マクダイアミッド]]が資源研を訪れた際、[[硫化窒素|S<sub>X</sub>N<sub>X</sub>]]の金色の[[結晶]]を持参していたことから、白川の合成していた銀色のポリアセチレン薄膜との相関性を感じた[[山本明夫]]に紹介を受けた{{Sfn|白川英樹|2008年|p=905}}。マカダイアミッドはこの薄膜に非常に興味を示し、その場で共同研究を提案してきたという{{Sfn|白川英樹|2008年|p=905}}。
 
[[1976年]]に[[ペンシルベニア大学]]のマカダイアミッドの研究室の博士研究員となり、同年9月の[[レイバー・デー (アメリカ合衆国)|レイバー・デー]]明けから当地での研究を始めた{{Sfn|白川英樹|2008年|p=903}}。ポリアセチレンの[[電気伝導|電気伝導性]]を高めるために[[第17族元素|ハロゲン]]への[[ドープ]]を行うことにした。同年11月23日に,測定用の端子を付けたポリアセチレンを[[アルゴン|アルゴンガス]]を満たした三角フラスコ内に入れ、ハロゲンの一種である臭素を[[注射器]]で滴下したところ、わずか1滴で4-5桁も試料の電気抵抗が下がり、最終的に電気抵抗は1,000万分の1まで減少してマカダイアミッドやヒーガーも交えて大騒ぎとなった{{Sfn|白川英樹|2001年a|p=41}}{{Sfn|白川英樹|2008年|p=903}}。数日間の追試により、金属-絶縁体転移が起きるこの現象の再現性が確認され、さらに二重結合に[[付加反応]]を起こさない[[ヨウ素]]の方がさらに効果的である事がわかった{{Sfn|白川英樹|2001年a|p=77}}。
 
この発見に関する第一報を『''{{仮リンク|Chemical Communications|en|Chemical Communications}}''』に出し、さらに化学系のマカダイアミッドが『''[[米国化学会誌|Journal of the American Chemical Society]]''』、物理系のヒーガーが『''[[フィジカル・レビュー|Physical Review Letters]]''』にそれぞれ論文を投稿することを協議により決めた{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。しかしChemical Communications以外の投稿は[[査読]]の段階で現象自体に疑問を持たれ、すぐには受諾されなかったという{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。
 
このため、[[1977年]]6月に[[ニューヨーク]]で開催される低次元物質の合成と物性に関する国際学会において、デモンストレーションの実験を行う事をマカダイアミッドが提案した{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。日本の学会ではやらないような子供じみた取り組みだと感じられ、また実験面でも[[テフロン]]製のストップコックから空気が漏れてハロゲンの[[拡散]]を阻害してドープが進みにくくなるという懸念もあって、白川は当初これに反対した{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。結局、[[蒸気圧]]を高めるために臭化ヨウ素のようなハロゲン間化合物を用い、さらにドーパントの容器を温めるために湯を準備するなどの対策を行なって公開実験を行ない、ポリアセチレンの電気抵抗が低下した際に[[豆電球]]が点灯させる事に成功した{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。聴衆の化学者らに大きな驚きを与えたという{{Sfn|白川英樹|2008年|p=904}}。
 
ヒーガーの論文は同年10月に''Physical Review Letters''<ref>[http://prl.aps.org/abstract/PRL/v39/i17/p1098_1 "Electrical Conductivity in Doped Polyacetylene" Phys. Rev. Lett. 39, 1098 (1977)]</ref>、マカダイアミッドの論文は1978年2月に"''Journal of American Chemical Society"''に<ref>[http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja00471a081 "Synthesis of highly conducting films of derivatives of polyacetylene, (CH)x" J. Am. Chem. Soc., 100, 1013 (1978)]</ref>それぞれ掲載されている。
 
=== 筑波大学時代 ===