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|HP=[http://www.shochiku.co.jp/play/shochikuza/index.html 大阪松竹座]
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'''大阪松竹座'''(おおさかしょうちくざ)は、[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[道頓堀]]一丁目にある日本の[[劇場]]である。[[松竹]]株式会社が経営している。なお、この劇場は劇場街・道頓堀を表す「道頓堀五座」([[浪花座]]、[[中座]]、[[角座]]、[[朝日座]]、[[弁天座]])には含まれない。
 
==歴史==
=== 日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館 ===
[[File:OSK Shochiku Grand Revue poster 1930-6.jpg|180px|thumb|1930年のポスター。洋画と[[OSK日本歌劇団|松竹楽劇部]]のレビューが併演されている]]
テラコッタを使用した[[ネオルネッサンス様式]]の正面大玄関の特徴あるアーチを持つ劇場建築は[[1923年]]([[大正]]12年)に竣工する。[[イタリア]]・[[ミラノ]]の[[スカラ座]]をモデルに、[[大林組]]の設計技師・[[木村得三郎]]が設計した'''日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館'''であり、大阪初の洋式劇場として、同年[[5月17日]]に開場した。
 
オープン初日のプログラムは、[[エルンスト・ルビッチ]]監督の[[ドイツ映画]]『[[ファラオの恋]]』(''[[:de:Das Weib des Pharao|Das Weib des Pharao]]'')、[[松竹蒲田撮影所]]の[[野村芳亭]]監督の映画『[[母 (1923年の映画)|母]]』が上映され、映画の幕間に[[OSK日本歌劇団|松竹楽劇部]]第1回公演『[[アルルの女]]』が上演された。
 
[[梅田]]の[[HEP|北野劇場]]と並ぶ、大阪の洋画の殿堂として優秀外国映画の上映を行ったほか、[[OSK日本歌劇団|松竹楽劇部]]から発展した[[OSK日本歌劇団|大阪松竹少女歌劇団]](OSSK)のレビューも行った。
 
[[第二次世界大戦]]後は松竹映画の封切館として再開したが、その後洋画ロードショー館に転向。[[1970年代]]以降は[[東急文化会館#映画館|渋谷パンテオン]]/[[丸の内ルーブル]]系列の[[映画館]]として、『[[タワーリング・インフェルノ]]』『[[ジョーズ]]』『[[E.T.]]』『[[ラストエンペラー]]』『[[ボディガード_(映画)|ボディガード]]』など数多くのヒット作や大作を上映。また2階には[[松竹芸能]]の本社事務所がテナントで入っていた。1994年([[平成]]6年)5月8日に映画館としての役割を終え、劇場へ改装するため閉館。最後の上映作品は『[[風と共に去りぬ_(映画)|風と共に去りぬ]]』であった。