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{{存命人物の出典明記|date=2013年3月}}
 
'''岡崎 久彦'''(おかざき ひさひこ、[[1930年]][[4月8日]] - )は、日本の外交[[評論家]]・[[政治評論家]]。防衛法学会[[顧問]]。NPO法人[[岡崎研究所]]代表。元外交官<ref>[[産経新聞]]では必ず「元タイ大使」の肩書きで登場する</ref>。
 
== 人物 ==
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[[イラク戦争]]では、開戦前の[[2003年]][[2月19日]]に採択した[[日本国際フォーラム]]の「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」に名を連ねていた。[[3月19日]]の開戦後、米国をいち早く支持した[[小泉純一郎|小泉]]首相を絶賛し、「日本が唯一指針とすべき事は、評論家的な善悪是非の論ではなく、日本の国家と国民の安全と繁栄である。」と主張した<ref>『[[産経新聞|産經新聞]]』[[2003年]][[3月25日]]「正論」欄</ref>。また、著書の中で「[[極東国際軍事裁判|極東軍事裁判]]以来、歴史を論じる時には歴史的事件の当事者の善悪、責任を論じるのが習慣のようになっているが、そんなことばかりしていると是非の論争にこだわって歴史の真実を見失ってしまう恐れがある。歴史は流れであり、その流れの中で戦争も平和も起こる」と述べている<ref>『重光・東郷とその時代』PHP文庫、213ページ</ref>。
 
対米協調志向は若い頃からのもので、先輩{{誰|date=2012年9月}}から「君はおじいさんの世代([[大正デモクラシー]]を根幹とする[[古典的自由主義]]者。人物としては[[吉田茂]])のようなことを言うんだなあ」と評されたこともある{{要出典|date=2012年9月}}。また、[[安保闘争|安保騒動]]後に[[全日本学生自治会総連合|全学連]]で安保反対運動をしていた人間{{誰|date=2012年9月}}と話した際「お前たちのような教育のある人間がどうしてああいうことをするんだ。大学に行っている[[インテリ]]がどうして安保反対など言うんだ」と聞いて「あの時の雰囲気がわからない人に話してもわかりませんよ」と返され「雰囲気とは何だ。お前インテリたるものが理屈で説明できないことを『だろう。雰囲気がそうったから』は説明にならないではない動くのか」と問い詰めたことがあるという{{要<ref>[[阿川尚之]]との対談「対論・日本とアメリカ」[[廣済堂典|date=2012版]]、20029月}}、P245)</ref>
 
[[新しい歴史教科書をつくる会]]賛同者(のち日本教育再生機構顧問)、[[日本李登輝友の会]]副会長、[[歴史事実普及協会]]会員など、[[保守#日本における保守主義|保守]]派の政治運動でも知られる。ただし、経済思想では消費税増税による高負担・政府部門の強化をを主張しており、[[保守本流]]に近い立場である{{要出典|date=2012年9月}}。また[[韓国]]の[[反日]]的立場については「日本人の差別が原因。」と一部左派勢力や[[在日朝鮮人]]と同様の主張をしており保守派本流の意見とは異をなしている{{要出典|date=2012年9月}}。
 
また、権威主義的・[[帝国大学|旧帝大]]を頂点とするエリート主義的傾向が強く、米英などの[[イラク戦争]]を支持した東大[[教授]]の[[田中明彦]]、[[北岡伸一]]の発言を受けて、「昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は「ああ、そういうことなのか」と啓発されたものである。その後、東大法学部は長い間左傾して権威を失墜して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。本来なら、この二教授の発言でこの論争は決着している」と主張した<ref>[http://www.okazaki-inst.jp/iraqkoizumijp.html 米のイラク攻撃支持 勇気ある小泉発言] [[読売新聞]]『地球を読む』2003年3月30日付け</ref>。
 
祖父は[[陸奥宗光]]の[[従兄弟]]で[[立憲政友会]]の幹部だった[[岡崎邦輔]]。