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Syouhos0 (会話 | 投稿記録)
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* [[804年]]7月、通訳に門弟の[[義真]]を連れ、[[空海]]とおなじく九州を出発。9月明州に到着。天台山に登り、[[湛然]]の弟子の[[道邃]]と[[行満]](ぎょうまん)について天台教学を学ぶ。さらに道邃に大乗[[菩薩戒]]を受け、[[翛然]](しゅくねん)から禅、[[順暁]]から密教を相承する。
* [[805年]]5月、帰路の途中[[和田岬]]([[神戸市]])に上陸し、最初の密教教化霊場である[[能福寺|能福護国密寺]]を開創する。7月に上洛、滞在中に書写した経典類は230部460巻。帰国当時、[[桓武天皇]]は病床にあり、宮中で天皇の病気平癒を祈る。
* [[805年]]9月、桓武天皇の要請で高雄山[[神護寺]]にて日本最初の公式な灌頂が最澄により行われる。
* [[806年]]([[大同 (日本)|大同]]元年)1月、最澄の上表により、天台業2人([[止観]]業1人、遮那(しゃな)業1人)が[[年分度者]]となる。これは[[南都六宗]]に準じる。これが日本の天台宗の開宗である。
* このころ、空海から、[[真言]]、[[悉曇]]([[梵字]])、[[華厳]]の典籍を借り、研究する。