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'''穆皇后'''(ぼくこうごう、? - [[245年]])は、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[蜀]]の先主[[劉備]]の皇后。穆は[[諡]]で、姓は'''呉氏'''(ごし)、[[諱]]は不明。族父
== 生涯 ==
[[兗州]]陳留郡の人。幼いころに父を失った。亡父と旧交のあった[[劉焉]]の入蜀時に、母や妹そして族弟の[[呉班]]一家と共に[[益州]]へ移住した。その後、間もなく人相見が呉氏を見て「大変高貴な身分に昇るだろう」と言った。それを聞いた劉焉はかねてから野望を持っていたため、自分の三男[[劉瑁]]の妻に迎えた。しかし、瑁が早世したため未亡人となった。
[[214年]]、劉備が劉焉の子[[劉璋]]を降し、[[成都]]へ入城した。その際、群臣が呉氏を娶るよう劉備に勧めたという。劉備は『同姓娶らず』という「[[礼教]]の規定に反する」と言いためらいを見せたが、[[法正]]の説得により夫人に立てた。
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