「クリスチャン・トムセン」の版間の差分

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== 人物 ==
[[コペンハーゲン博物館]]の責任者として、博物館の展示品を[[利器]]によって、特に刃物の材質の変化を基準にして分類し、人類は石以外に金属を知らない石器時代、鉄がまだ使われていない青銅器時代、鉄器時だという三つの時代を経たことを区分して展示した。この考え方を推し進め、[[1836年]]に『Legetraad til nordisk Oldkyndighed(北方古代文化入門)』を著して[[[http://en.wikipedia.org/wiki/Three-age%20systemage_system 三時期法]]](三時代区分法)を提唱し、弟子であるJ・J・A・ヴォーソー<ref>トムセンの後を受けてデンマーク国立博物館の館長を務め、19世紀後半、ヨーロッパ先史考古学の指導的位置にあった人。[[ハインリッヒ・シーボルト]]と1873年(明治6)に始まる文通をしていた。[[佐原真]]によると「彼こそ、世界の貝塚研究史上、筆頭に掲げるべき研究者」である。</ref>の度重なる発掘によって実証された。この考えは、材質の発見、制作、利用という原理に立脚していた。また、トムセンは、この区分は[[スカンジナビア]]とその周辺地域に適用できるとしていた。
 
== 脚注 ==