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[[Image:Admiralty Islands Topography with labels.png|thumb|250px|right|マヌス島]]
'''マヌス島'''('''Manus Island''')は、[[パプアニューギニア]]、[[マヌス州]]の島で、[[アドミラルティ諸島]]最大の島である。

== 概要 ==
本島はパプアニューギニア全体では5番目の大きさで、100kms x 30kms の大きさを持つ。島のほとんどが荒れたジャングルに覆われ、低地[[熱帯雨林気候]]に属する。
 
マヌス島には標高700mの山岳地帯があり、その起源は火山活動によるものである。800万年から1,000万年前に海底が隆起し、島の地層は火山性地層及びサンゴ礁からなる石灰岩から構成される。
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マヌス島の人口は約33,000名で、マヌス州の州都[[ロレンガウ]]が所在する。
 
マヌス州のターミナル空港であるモモテ空港はマヌス島に近接する[[ロスネグロス島]]に所在する。ロスネグロス島とマヌス島はロニューブリッジと呼ばれる橋で繋がれている。またモモティ空港はかつて日本軍が整地したものであり、その跡地を今も空港として使っている。空港の近くには日本軍とアメリカ軍の記念碑がある。空港からタウンまでは車で1時間程である。
 
島の幹線道路は少なく、モモティ空港からロレンガウタウンまでをつなぐ道と、住民たちがハイウェイと呼ぶマヌス島の中央部までの村をつなぐ道のみである。しかし、後者は道が舗装されているところも少ない。西側半分には実質車の通ることのできる道は存在しない。西側の村に住む住民たちの交通手段は1010人程が乗れる小さなエンジン付きのボートであり、タウンから西の端に位置するビピ島までは8時間程度かかる。
 
== 教育 ==
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[[第二次世界大戦]]後には、[[BC級戦犯]]裁判の舞台となった。シンガポ-ルで行われた[[イギリス軍]]による軍事裁判で、[[西村琢磨]]中将は[[シンガポール華僑虐殺事件]]への関与により[[終身刑]]が宣告された。西村中将は[[オーストラリア軍]][[憲兵]]によって[[香港]]からマヌス島に移送され、マヌス島でオーストラリア軍の軍事法廷で再び裁かれた。検察側はパリ・スロンで西村がオーストラリア軍、[[インド軍]]の負傷兵に対して銃撃を命じたと主張した。西村中将は有罪判決が下され、1951年6月11日に[[絞首刑]]とされた。
 
マヌス島に第二次世界大戦前および戦後暮らしたアメリカの[[文化人類学者]][[マーガレット・ミード]]はその著書『''Growing up in New Guinea''』で島の様子を詳述している。
 
[[オーストラリア]]は、[[パシフィック・ソリューション]]の一環として2001年、マヌス島に拘留センターを建設した。これは難民申請者のオーストラリア国内滞在を許さず、国外で難民審査を行うための施設である。センター最後の収容者はアラジン・シサーレムで、彼は2003年7月から独房に収容され、2004年6月に亡命者保護が許可された。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.manusisland.com ManusIsland.com]
* [http://www.arm.gov/images/manus_map_blue_tn.jpg Map of Manus Island]
* [http://www.manusisland.com/img--site/maps/manus-png-741x641.gif Map of PNG showing location of Manus Island]
 
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