「金匱要略」の版間の差分

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『'''金匱要略'''』(きんきょうようりゃく)は、正しくは『'''金匱要略方論'''』(きんきようりゃくほうろん)と言い、元来は[[後漢]]の[[張仲景]]が書いた『[[傷寒論|傷寒雑病論]]』の一部(『雑病』部)である(同書の詳細については「'''[[傷寒論]]'''」を参照)。
 
『[[傷寒論|傷寒雑病論]]』は、長年の戦乱による混乱と同書を門外不出の秘伝扱いにした一部医師の所業により、して久しかった。そこで当時現存していた『傷寒』部のみが『[[傷寒論]]』として流布され、その他の病気を扱った『雑病』部は行方不明になったままになった。ただ、[[孫思バク|孫思邈]]の『[[千金要方]]』などの引用部分から大体の構成については推測が可能であった。
 
ところが、[[北宋]]の[[仁宗 (宋)|仁宗]]の時代に[[王洙]]が宮中で「金匱玉函要略方」という書籍を発見した。調査の結果、これが『傷寒雑病論』のダイジェスト版で、その後半部分が同書の「雑病」部であることが判明した。そこで、『傷寒論』の校訂を務めた[[林億]]に『雑病』部の校訂が命じられた。林億はこれを『傷寒論』と重複しない‘雑病・方剤・婦人病’の部分だけを取り出して校訂し、欠けている部分を他の医書の引用部などを参考に補足し、分かりやすいように項目の配列の入れ替えを行った。これが『'''金匱要略'''('''方論''')』である。