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ジェイコブズは[[ロンドン]]の[[ワッピング]]([[:en:Wapping]])にて波止場で働く労働者の息子として生まれた。彼は私立学校をでたあと、今では[[ロンドン大学]]に編入されたバークベックカレッジに入学、1879年に郵政銀行の職員となった。
 
[[1885年]]に彼の最初の短編作品が発表された。成功への道のりは比較的遅咲きだったが、[[1896年]]に出版した短編集 ''Many Cargo'' が人気を博し、翌1897年には長編 ''The Skipper's Wooing'' を、1898年に短編集 ''Sea Urchins'' を続けざまに発表してその人気を不動のものにした。''Many Cargos'' 以前に書かれたものから ''Sea Urchins'' までの一連の作品は[[ジェローム・K・ジェローム]]の[[アイドラー(雑誌)|アイドラー]]誌に掲載され、1898年10月からは[[ストランド・マガジン]]と契約し、同社から出版された。
 
1899年に郵政銀行を退職、1900年に結婚(妻は熱心な婦人参政権論者だった)後、[[エセックス州]][[ロートン]]([[:en:Loughton]])に2軒の家を持った。場所は1軒がパークヒル、もう1軒がゴールディングヒルである。ゴールディングヒルには後に彼の[[ブルー・プラーク]]が設けられた。ジェイコブズはロートンを愛し、この街をモデルにした描写いくつかの短編に含めることもあっ登場させた。
 
ジェイコブズの他の作品には ''Captains All'' 、 ''Sailors' Knots'' 、 ''Night Watches'' などがある。ワッピング波止場の夜警の冒険譚である ''Night Watches'' において、ジェイコブズはロンドンの[[イースト・エンド (ロンドン)|イースト・エンド]]の下品とされる言葉使いをセンスよく作品に取り入れてみせた。[[P・G・ウッドハウス]]は自叙伝 ''Bring on the Girls''([[1954年]]、ガイ・ボルトン([[:en:Guy Bolton]])と共著)の中でジェイコブズのその技量に感銘を受けたことを書き残している。