「山田かまち」の版間の差分
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== 生涯 ==
幼少より絵画の才能を発揮する。小学校3年生のとき、[[東京芸術大学]]出身の竹内俊雄(後に新島学園高校の美術科非常勤講師)がクラスの担任になり、冬休みの宿題で動物の絵(約30枚)を1時間あまりで書き上げ、その作品は
中学3年生の頃から[[ビートルズ]]などの[[ロック (音楽)|ロック]]に傾倒。同級生であり後に[[ミュージシャン]]として活躍する[[氷室京介]]とバンドを組んだこともあった。
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1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。友人数人と、学園祭で映画を作成し出演する。
同高校1年生の17歳の8月、自宅で[[エレクトリックギター|エレキギター]]を練習している最中に死
「かまち」の名前の由来は、[[終戦]]直後に両親が読んだ[[歴史小説]]の主人公の名前である。その歴史小説は、「鹿麻知(かまち)」という少年が、[[石器時代]]を舞台に活躍するというものであり、両親は「[[終戦]]直後であったので、この少年のように新しい時代を強く生きるように」という願いをこめた。また、「かまち」の[[平仮名|ひらがな]]表記の理由は、「かまち自身が自由に漢字をあてられるように」という意図がある。
== 死後 ==
* 死後、保管されていた詩を書き付けたノートやデッサン水彩画を、母親や恩師などが中心となり詩集や画集として出版、一躍注目を集める。
** 4回忌(81年)と13回忌(89年)に知人らに向けた小さな展覧会が開かれた。その頃はまだ無名の少年だったが、13回忌の展覧会で彼の作品に衝撃を受けた広瀬毅朗画廊によって、[[1992年]]に高崎市片岡町に「[[山田かまち水彩デッサン美術館]]」が設立され、小さな山田かまちブームが起きていた。その後、同年12月に『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』を刊行され、これをきっかけに広く世に知られるようになった。
* [[中学校]]認定の[[国語]][[教科書]]や[[高校]]認定の[[現代社会]]・[[美術]]・[[英語]]教科書に彼の詩や絵画が掲載されている。▼
* [[2004年]]には彼の人生が映画「[[かまち (映画)|かまち]]」として[[映画]]化された。監督:[[望月六郎 (映画監督)|望月六郎]]、主演:[[谷内伸也]]。▼
▲*[[中学校]]認定の[[国語]][[教科書]]や[[高校]]認定の[[現代社会]]・[[美術]]・[[英語]]教科書に彼の詩や絵画が掲載されている。
▲*[[2004年]]には彼の人生が映画「[[かまち (映画)|かまち]]」として[[映画]]化された。監督:[[望月六郎 (映画監督)|望月六郎]]、主演:[[谷内伸也]]。
== 著作 ==
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[[Category:1960年生]]
[[Category:1977年没]]
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