「妙覚寺 (勝浦市)」の版間の差分

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[[1264年]]([[文永]]元年)、[[日蓮]]は[[興津町 (千葉県)|興津]]領主佐久間兵庫頭重貞の招きにより、興津城内の持仏堂にて10日間の説法を行った(日蓮聖人10日間説法の霊場)。このとき重貞は日蓮に深く帰依し持仏堂を寄進し妙覚寺と号した。翌[[1265年]]([[文永]]2年)ごろに興津一帯に疫病が流行した際、日蓮が白布に南無妙法蓮華経の題目をしたため、船に曳かせて題目を唱えたところ、疫病が収まったと伝えられている。同年、重貞は子の長寿麿(後の美作房日保)を日蓮の弟子として出家させ、重貞の弟の竹寿麿(後の寂日房[[日家]])も出家したという。
 
現住は80世村田教清日浄貫首(鴨川市多門寺より晋山)。通師堀之内法縁。
 
==伽藍==