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1890年代のポピュリストと農民運動の時代には、サウスカロライナが人種問題と経済的衝突の温床になった。1895年に新しくポピュリスト憲法が成立し、人頭税、居住資格、識字試験を導入することで、ほぼ全ての黒人と貧乏白人から選挙権を事実上取り上げた。1896年、アフリカ系アメリカ人は人口の過半数を占めていたが、有権者名簿に残っている者は5,500人に過ぎなかった<ref>[http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=224731 Richard H. Pildes, "Democracy, Anti-Democracy, and the Canon", ''Constitutional Commentary'', Vol.17, 2000, p.12]. Retrieved March 10, 2008.</ref>。1900年国勢調査では、アフリカ系アメリカ人が州人口の58%以上を占めていたが、782,509人は選挙権を持たなかった<ref>[http://fisher.lib.virginia.edu/collections/stats/histcensus/php/state.php Historical Census Browser, 1900 US Census, University of Virginia]. Retrieved March 15, 2008.</ref>。
 
[[ポピュリズム|ポピュリスト]]の"ピッチフォーク・ベン・ティルマン"州知事がこの選挙権剥奪を率いた。1890年代か1910年まで貧乏白人農夫を地盤として州政界を支配した。1895年の憲法制定会議のとき、別の者が提案した「一滴ルール」を州が採用することを支持した。これは白人とアフリカ系アメリカ人を先祖に持つ者との結婚を禁じるものだった。会議に参加していた者の中には、著名な白人家族が影響を受けると認識している者もいた。1853年のバージニア州で同様な提案に対する同様な議論が行われていた。サウスカロライナ州は当面この法の採用を延期した。
 
=== 女性の権利 ===