「天文時計」の版間の差分

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ヨーロッパで初期の時計がどのように開発されていったのかはよくわかっていないものの、一般には1300年から1330年ごろには既に機械仕掛けの時計(水ではなく[[脱進機]]を用いるもの)が存在したとされている。これには交通機関などの運行や公的な行事が行われる時刻を知らせることと、太陽系の動きを模することとの2つの機能が与えられていた。このころ[[天文学者]]や[[占星術]]師は[[アストロラーベ]]を使っており、彼らはこれを機械化して自動的に動作する太陽系の模型を作ろうと考えたことから、必然的に後者の機能が発達することになった。
 
[[セント・オールバンス]](''St Albans'' )の「ウォリンフォードのリチャード」によって1330年代に、そして[[パドヴァ]]の[[ジャコポ・デ・ドンディ]](''Jacopo De'Dondi'' )、[[ジョバンニ・デ・ドンティ]](''Giovanni De'Dondi'' )父子によって1350年代に発明された天文時計は、現存していないものの製法や設計に関する詳細な記録が残されており、それらに基づいて再現されている。ウォリンフォードの時計には太陽、月(月齢・[[月相]]・交点)、恒星、惑星に加えて「[[幸運の車輪]](''Wheel Of Fortune'' )」と[[ロンドン橋]]での[[潮汐]]が配されていた。デ・ドンディの時計には7つの面があり、それぞれにそのころ知られていた惑星が割り当てられていた。これら2つの時計は他のもの同様、設計者が意図したほど正確ではなかった。[[ギア]]比は正確に計算されていたが、実際には[[摩擦]]の影響があり、また製造技術も未熟であったことから、理想的には動作しなかった。
 
[[18世紀]]になり天文学への興味が高まると再び天文時計が関心を集めた。哲学的な意味よりも[[振り子]]で制御された時計を用いることによって得られる正確な天文学的情報が求められるようになった。