「ミソジニー」の版間の差分

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== 概要 ==
ミソジニーは通常「女性嫌悪」「女ぎらい」と訳される<ref name=ueno>[[#上野|上野(2010)pp.7-21]]</ref>。男性にとっては「女性嫌悪」、女性にとっては「自己嫌悪」、その心性がミソジニーである<ref name=ueno/>。[[上野千鶴子]]は、ミソジニーを家父長制の基本原理の一つに位置づけている<ref name=ueno/>。[[イギリス]]文学研究者の[[イヴ・セジウィック]]は、[[同性愛]]に対する恐怖感・嫌悪感=[[ホモフォビア]] (Homophobia) と必然的な親和関係があることを指摘しており、上野もこれに同調している<ref name=ueno/>。ただし、ミソジニーの概念自体が主観的・内面的な感情や[[価値観]]を問題にしているため、その範囲を明確にすることは難しいとする見解もある。
 
上野千鶴子は、ミソジニーの男性には女好きが多いと指摘している<ref name=ueno/>。上野によれば、女性をセックスの対象としてしか見なさない男性は、「女好き」でありながら「女性嫌悪」ないし「女性憎悪」の思想を有しているとみられるが、ここにおける「女好き」と「女嫌い」は矛盾しない。むしろ、女性蔑視という同じ根から現れたコインの表裏である<ref name=ueno/>。なお、[[奥本大三郎]]は、[[小説家]]の[[吉行淳之介]]を「まぎれもなく女性嫌悪思想の系譜に連なる作家である」と指摘しており、また、「女性嫌悪思想の持ち主というのは、どうしても女に無関心でいられない」のが「弱点」であるとも記している<ref name=ueno/><ref name=okumoto>[[#奥本|奥本(1981)p.161]]</ref><ref group="注釈">奥本大三郎は、吉行に女性読者が増加していることを称して「猟師の鉄砲に小鳥が止まったような具合」と形容している。[[#奥本|奥本(1981)p.161]]</ref><ref group="注釈">上野千鶴子は、ミソジニー傾向の強い作家として吉行以外に[[永井荷風]]を挙げている。[[#上野|上野(2010)pp.7-21]]</ref>。