「マルク・ファン・ボメル」の版間の差分

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2006-07シーズンはシーズン前のチームのアメリカ遠征にも参加したが、監督である[[フランク・ライカールト]]に起用法を聞いたところ、「昨シーズンと同じくらいの出場時間かもしれないし、減るかもしれない」と言われた為、[[2006年]][[8月27日]]に[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]に移籍。移籍金は770万ユーロ。9月23日の対[[アレマニア・アーヘン|アーヘン]]戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、30試合に出場し6ゴールを記録するなど期待に応える活躍を見せる。2008-09シーズンより[[オリバー・カーン]]の引退により、ドイツ人以外ではチーム初となるキャプテンに就任した。
 
[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツW杯]]以降は「今のスタッフが総退陣しない限り代表ではプレーしない」(主な理由は監督の[[マルコ・ファン・バステン]]との確執や[[アヤックから「今の・アムステルダム|アヤクス]]の選手ばかフが総退陣しない限を重用代表ではプレーると言う不満からだそうである)と[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]からの招集を拒否していたが、[[UEFA欧州選手権2008|EURO2008]]後初の親善試合に義父である[[ベルト・ファン・マルワイク]]が代表監督に就任したことで代表に復帰した。
 
2009年、資金難でリーグライセンス発行に苦心している古巣[[フォルトゥナ・シッタート]]のために[[バイエルン・ミュンヘン]]とのチャリティーマッチを企画した。7500人の観客が来場し、売り上げが20万ユーロに達するなどイベントとしては成功したが、当のファン・ボメルは左太腿を負傷していたために出場できなかった<ref>{{Cite news
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[[2013年]][[5月12日]]に現役引退を表明、ラストゲのシムとなったズン最終節[[FCトゥウェンテ]]戦では2枚目のイエローカードを受けて退場処分、試合後に引退受け表明し<ref>[http://www.goal.com/jp/news/3637/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80/2013/05/13/3974987/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E5%BC%95%E9%80%80-%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E8%A9%A6%E5%90%88%E3%81%A7%E9%80%80%E5%A0%B4?source=breakingnews&ICID=HP_BN_12 ファン・ボメルが現役引退 最後の試合で退場]Goal.com 2013年5月13日</ref>。
 
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