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{{出典の明記|date=2013年5月30日 (木) 03:59 (UTC)|ソートキー=人1920年没}}
[[画像:Max bruch.jpg|180px|thumb|マックス・ブルッフ]]
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = マックス・ブルッフ<br/>Max Bruch
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{{Portal クラシック音楽}}
'''マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ'''('''Max Christian Friedrich Bruch''', [[1838年]][[1月6日]] - [[1920年]][[10月2日]])は[[ケルン]]に生まれ[[ベルリン]]で没した[[ドイツ]]の[[作曲家]]。教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。[[ヴァイオリン協奏曲第1番 (ブルッフ)|ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調]]が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。他にもヴァイオリンと管弦楽のための『[[スコットランド幻想曲]]』や、チェロと管弦楽のための『[[コル・ニドライ (ブルッフ)|コル・ニドライ]]』がしばしば演奏される。
 
* [[1852年]](14歳) - [[フェルディナント・ヒラー]]と[[カルル・ライネッケ]]に作曲を学ぶ。
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* [[1907年]](69歳) - 芸術院副総裁に就任する。
* [[1908年]](70歳) - [[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]から[[神学]]と[[哲学]]の博士号を贈られる。
* [[1920年]](82歳) - ベルリンの[[{{仮リンク|フリーデナウ]]|de|Berlin-Friedenau}}で没する。
 
多くのユダヤ的主題で作曲し成功を収めたため、[[ユダヤ人]]の血を引くのではないかと疑われ、[[1935年]][[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]政府によって上演禁止となる。ブルッフの得意とする合唱曲では美しい旋律の曲が多いが、以後今日に至るも復活されていないと言っても過言ではない。ただしブルッフの祖先がユダヤ人だったという確かな証拠は何もない。
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* [[交響曲第3番 (ブルッフ)|交響曲第3番]]ホ長調 作品51
; 協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
* [[クラリネットヴィオラと管弦楽のための二重協奏曲 (ブルッフ)|クラリネット、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲]]ホ短調 作品88
* 2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調 作品88a
* [[ヴァイオリン協奏曲第1番 (ブルッフ)|ヴァイオリン協奏曲第1番]]ト短調 作品26