「チャニング・ウィリアムズ」の版間の差分

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1889年、[[名出保太郎]]が東京三一神学校の神学生であった際、名出をはじめとする神学生は自身に割り当てられた寮の屋根裏部屋を不満に思い、ウィリアムズに改善してほしいと伝えると、ウィリアムズは善処すると答えた。明くる日、名出らが神学校に行っている間に、ウィリアムズは用務員とともに自分の部屋と神学生らの部屋の荷物を入れ替えて、部屋を交換した。名出はこれに対して、ウィリアムズに申し訳ないと平謝りしたが、ウィリアムズは自分が部屋を使うのは寝るときだけであり、学生は勉強のためによい部屋を使うべきだと言って、一度決めたことを譲ろうとはしなかった<ref>矢崎 1988年 143頁-144頁</ref><ref>伊藤 1979年 43頁-46頁</ref>。
 
土曜日の最終の汽車を逃した際、日曜日は安息日である日曜日にはので汽車を使わないと決めていたウィリアムズは、自宅まで歩いて帰った。
 
時間に非常に厳しく、生徒が5分でも遅刻した際は授業を受けさせなかった。