「三井八郎右衛門」の版間の差分
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== 4代高美 ==
'''三井 高美'''(みつい たかよし)は三井家4代目当主。(正徳5年-天明2年)。幼名は万蔵。1733年に勘右衛門を名乗り、翌年父の剃髪とともに、北家を継承、1736年には新八と改名、1738年には京都為替店名前である三郎助を継承、1741年に新町家の高方の死去を受けて八郎右衛門を継承する。ところが、美術品などの蒐集や[[西教寺]]への多額の寄進などによって大元方から多額の借財を抱え、当時健在であった高房の意向で1747年に八郎右衛門の名を実弟である新町家の新弥へ譲らされる。1750年、次男の高清に北家を譲って出家するが、その後も浪費は収まらず、
== 新町家・高弥 ==
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