「趙元任」の版間の差分

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==逸話==
*趙元任は作曲家としても有名で、1926年に作った「教我如何不想她」は広く知られている。なおこの曲の作詞者は劉半農で、曲名中の最後の漢字「她」(=「彼女、その女性」)は劉の創作文字。
*1959年京都大学で五ヶ月間中国語で講義。通訳は[[小川環樹]]教授であった。講義最終日、小川教授への謝意を述べてても、教授は謙遜からしっかり通訳しないであろう事を予知。日本語でみずからお礼の原稿を作り、それを披露した。これが、趙氏が日本語で話をした最長記録との事。('My Linguistic Autobiography',"Aspects of Chinese Sociolinguistics",p.17)
 
==参考文献==