「王英 (民国)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
31行目:
日本敗北後は、軍を率いて傅作義に投降し、騎兵第1集団軍総司令に任命された。さらに第12戦区騎兵第14縦隊縦隊長に異動している。[[1946年]](民国35年)秋、[[北京市|北平]]で[[国民政府]]軍事委員会委員長北平行営高級参謀に任命された。その後、平蒲路剿共軍総司令にも任じられている<ref>李(1961)、207-208頁。</ref>。
 
[[中華人民共和国]]成立後に王英は当局に逮捕された。[[1950年]]5月23日、王英は[[漢奸]]・反革命の罪により[[北京市]]人民法院で死刑判決を受け、上告したものの[[最高人民法院]]でも原判決が維持された。同年11月4日、北京市で王英の銃殺刑が執行された。享年56<ref>『[[人民日報]]』1950年11月5日、第2版。</ref><ref>徐主編(2007)、43頁は「1951年1月」に処刑としているが、誤りと思われる。</ref>。
 
== 注 ==