|
|
'''十二代目 市村 羽左衛門'''(じゅうにだいめ いちむら うざえもん、[[文化 (元号)|文化]]9年(〈[[1812年]])〉 - [[嘉永]]4年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]](〈[[1851年]][[9月15日]]))〉)とは、[[江戸時代]]後期の[[歌舞伎]]役者・で江戸[[市村座]]の座元。[[俳名]]は[[市村家橘|家橘]]。、[[屋号]]は橘屋<!--(立花屋)-->。定紋は根上がり橘。
市村座の座元である[[市村羽左衛門 (11代目)|十一代目市村羽左衛門]]の次男。初め市村豊松、のち市村亀之助。と名を改め、[[文政]]元年(1818年)11月よりに子役として舞台に立つ。文政3年(1820年)7月に父が死去し、同年11月に十二代目[[市村羽左衛門]]を襲名。市村座以後座元となり舞台と芝居小屋経営役者の双方を勤めるた。
天保12年(1841年)10月、隣接する[[中村座]]が失火により全焼、隣接する市村座にも類焼して全焼、した。これを機に両森田座を含む三座は浅草[[猿若町]]に移転を命じられたる。嘉永4年(1851年)に)4月、実子の[[尾上菊五郎 (5代目)|市村九郎右衛門]]に十三代目羽左衛門を襲名させ、自身は五代目[[市村竹之丞]]を襲名し舞台活動に専念するが、ほどなく同年6月に死去した。
上品な芸風顔立ちで、私生活では成田山詣でをするのに大勢の幇間や芸者を伴い、そのついでに宴会を好みするなど、派手な遊びで江戸市民の話題を集めた。
== 参考文献 ==
<br clear="all">
*野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年
{{DEFAULTSORT:いちむら うさえもん12}}
[[Category:江戸時代の歌舞伎役者]]
|