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'''糸賀 一雄'''(いとが かずお、[[1914年]][[3月29日]] - [[1968年]][[9月18日]])は、[[日本]]の[[社会福祉]]の実践家である。[[知的障害]]のある子どもたちの[[福祉]][[教育]]に一生を捧げた。日本の[[障害者福祉]]を切り開いた第一人者として知られている。その[[思想]]を自身が語ったものとして[[書籍]]『福祉の思想』(NHK([[NHK出版]])がある。
 
== 経歴 ==
[[鳥取市]][[立川町]]出身。[[母子家庭]]で育つ。鳥取県立鳥取第二中学校(現[[鳥取県立鳥取東高等学校]])から旧制松江高校(現[[島根大学]])を経て、[[1938年]][[京都帝国大学]][[文学部]][[哲学科]]卒業。[[小学校]]の代用教員を経て、[[1940年]][[滋賀県庁]]に社会教育主事補として奉職し、秘書課長などを歴任する。また、この間に『次郎物語』の作者である[[下村湖人]]と親交を結び、下村の提唱する「煙仲間」運動にも共鳴する。
 
[[1946年]]11月、戦後の混乱期の中で[[池田太郎]][[田村一二]]の要請を受け、知的障害児等の入所・教育・医療を行う「[[近江学園]]」を創設し、園長となる。その後、落穂寮、信楽寮、あざみ寮、日向弘済学園などの施設を相次いで設立した。
 
[[1963年]]重症心身障害児施設「[[びわこ学園]]」を創設。
 
1968年(昭和43年)9月17日、[[滋賀県]][[大津市]]での県新入職員のための講演中に持病の[[心臓発作]]により死去。{{没年齢|1914|3|29|1968|9|18}}。葬儀は滋賀県葬でいとなまれ、[[昭和天皇|天皇]]から[[祭粢料]]が下賜された。
 
[[伝記]]として、野上芳彦『糸賀一雄』(大空社)や、高谷清『異質の光-糸賀一雄の魂と思想-』(大月書店)などがある。
 
== 著書 ==