「杖立温泉」の版間の差分

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[[明治時代]]以降は[[野口雨情]]などの文化人も訪れた。
 
戦後は[[昭和28年西日本水害#菊地・小国|昭和28年西日本水害]]により、旅館等に被害を受けたものの復興し、「九州の[[奥座敷]]」と呼ばれ、歓楽街温泉としても栄えた。その後温泉客の嗜好の変化などに伴い、近傍の黒川温泉などが脚光を浴びるのとは対照的に、衰退する傾向にあった。しかし近年、温泉情緒や歴史的由来等、背戸と呼ばれる町並みの散策、蒸し湯などの特徴を生かしたまちづくり的活動が、盛んになりつつある。
 
なお、5月の風物詩として河川を跨いで、群れを成すように[[こいのぼり]]を泳がせるイベントが全国で見られるが、その発祥地がこの杖立温泉である。今日、「こいのぼり祭り」と呼ばれるこのイベントは1963年(昭和38年)より始まっており、開始当初は40匹という少数であったが、今日では3000匹~3500匹が杖立川を泳ぐように掲げられ、全国から観光客が訪れる。鯉のぼり祭りが終わると、杖立温泉祭が5月27日28日の2日間行われ、夜になると温泉街の特設舞台で杖立の青壮年による芝居が2日間行われる。この歴史は古く、源流は明治時代にまで遡るという。以前は温泉街あげて行われ大変な賑わいだったが、近年は夜の芝居のみとなっている。