「真剣師」の版間の差分

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==概要==
[[将棋]]や[[麻雀]]、[[双六]](盤双六)といったゲームでは古くから金品を賭けることが行われており、そのなかで賭博によって生計を立てるものが現れた。それが真剣師である。彼らは賭博事家を旦那衆(スポンサー)として持っていたり、遊戯アマチュアと金品稽古けて勝負を行い、日銭を稼いでいかせぐこともあった。いわゆる職業としての将棋指し、碁打ちなどが確立していない時代には、アマ強豪のなかには真剣師が少なからず存在していた。近代になって競技協会が設立されると、真剣師からプロ棋士、プロ雀士となった者もいる。
 
彼らは時こういった賭け事イカサマ師としてがつきも一面を持っておであり、麻雀なら「[[麻雀の不正行為|積み込み]]」、将棋なら「帯の中に駒を隠し持つ」といったことも時たまあったようである。
 
現在は以前ほどこの手の賭け事が盛んでないことなどから、真剣師はほとんど存在しないとされる。
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==囲碁の真剣師==
囲碁で賭けが行われるのも古来から行われて、[[江戸時代]]には囲碁などを禁止する藩もあった。ただしその他の遊芸が広まるにつれて囲碁への規制は緩くなっていく。江戸時代の賭碁師の中では、[[享保]]・[[文政]]期に三千両を稼いだと言われる「阿波の米蔵」こと[[四宮米蔵]]などが著名。[[明治]]初期に[[方円社]]に所属した[[水谷縫次]]も、それ以前には賭碁師として名を知られていた。[[大正]]に専門棋士として三段まで進んだ[[大阪]]の堀田忠弘はその後真剣師となって1982年に没するまで、プロ棋士もしばしば破る活躍で鬼と呼ばれた。また、後に将棋のプロ棋士として活躍した[[花村元司]]も真剣師時代は将棋の他に囲碁も真剣を行っていた。
 
==将棋の真剣師==